◇「キレる」「甘党」にも影響?
「女性は方向音痴、男性は話を聞くのが苦手」という説をよく聞く。「脳の構造、機能に性差があるから」というのだが、本当だろうか。この分野の最先端を研究してきた田中冨久子・国際医療福祉大学教授に男女の脳にまつわるさまざまな疑問に答えてもらった。【伊藤信司】
--女性には本当に方向音痴が多いのでしょうか?
◆米国で1960~92年に大規模に行われた知的能力調査で「空間認知は男性が優れている」という結果が出ました。でも「それは生物学的なものでなく、学習次第で女性も追いつく能力だ」との意見もあります。男の子に一般的な模型やキャッチボールなどの遊びが、視覚・空間知覚能力を発達させる可能性があるからです。これを裏付けるように、色彩の乏しい広大な北極圏に住むイヌイットの少女は空間認知にすぐれ、少年と差がないという報告があります。
--男性は話を聞くのが苦手、という説はどうですか?
◆先に挙げた米国の調査では「読み書き」の平均点は女性が男性を上回りました。でも、会話能力の男女差についての同様の調査結果は聞いたことがない。一時、「女性が左右両方の脳を使ってしゃべるのに対し、男性は左脳だけしか使わない」という説が広まりましたが、これと相反する論文も出ており確実なことはまだわかりません。
赤ちゃんが片言でしゃべりだした時、これに親が答えていると発声活動を促進するようです。しかし、母親は男の子より女の子に応答するケースが多く、ここで既に発声強化が行われているといわれます。政治家や役人の巧みな弁舌を聞いていても、男性が必ずしも言語能力で劣ると思えません。結局、これも訓練や学習量によって決まるのではないでしょうか。
--男の子が相撲やプロレスごっこなど、激しい遊びを好むのはなぜでしょう?
◆ヒトの体の基本形は女性型です。男の胎児には受精後6週ごろに精巣ができ、14~20週ごろになるとシャワーのように男性ホルモンを分泌して脳神経の回路を男性型にします。それで男の子の方が生まれつき活発な遊びが好きになります。
サルの子供では、オスがメスに比べて5~20倍も闘争的な遊びをするそうです。米国の霊長類研究所で妊娠中のサルに男性ホルモンを注射したところ、生まれたメスザルには取っ組み合いなどの激しい遊びが目立ちました。「ヒトの行動の性差はすべて後天的、社会的要因によるもの」と主張する学者もいますが、やはりこうした動物実験の結果は無視できない。「キレる」中高校生の暴力事件が多発していますが、こういう幼少期の「遊びけんか」が足りないのも原因ではないでしょうか。
脳は古脳(視床、視床下部、中脳、橋(きょう)、延髄など)と新脳(大脳皮質、大脳髄質など)に分けられます。男性の高い攻撃性をつくっているのは扁桃(へんとう)体-視床下部系の古脳部分ですが、大脳皮質の新脳にはそれを抑える機能もあります。新脳が「遊びけんか」によって攻撃性の調節を十分学んでいないと、思春期に男性ホルモン分泌が急増して扁桃体を刺激した際に力を抑制できない恐れがあるのです。
--子供の絵でも男女で特徴がありますね。
◆女の子は華やかな暖色を使って花や木、ペットなどと並べて女の子を描くことが多い。男の子は自動車や飛行機、ロケットなどスピード感のある素材を寒色系で描写するそうです。一方、「先天性副腎過形成」の女児の自由画は男児に近い特徴があるといいます。この病気では胎生期に副腎皮質から大量の男性ホルモンが分泌されるので、女児の脳が男性型になった可能性があります。こういった絵の男女差も社会的要因で増幅されるようです。
--女性に甘党が多いのも、脳に関係がありますか?
◆ショ糖を加えたミルクを男女の赤ちゃんに飲ませたところ、女児の方がたくさんミルクを飲むようになったとの報告があります。ラットの実験結果から、思春期以降も女性が甘いもの好きなのは、卵巣ホルモンが脳に働きかけるからと推測されています。
--月経周期は女性の脳にどんな影響を及ぼしますか?
◆古脳の視床下部-下垂体前葉-卵巣系が一体となって女性の性周期を作っています。月経終了後1~2週目には、エストロジェン(卵巣ホルモン)の血中濃度が高まり、これが認知・記憶機能、言語機能を促進したり、神経・筋機能も活性化します。働く女性はこの時期に大事な仕事を予定するといいでしょう。また、女子の陸上選手も、この時期に約8割が自己ベストを出した--との調査結果もあります。
結論として生命維持と種族保存を図る古脳は、男女で機能が大きく違いますが、創造的な行動を生み出す新脳には無限の可能性があります。新脳に関しては、性差を考える必要はないようです。
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■人物略歴
◇たなか・ふくこ
1969年横浜市立大大学院医学研究科修了。専門は神経内分泌学、脳科学。横浜市立大医学部教授・医学部長を今年3月退職し、来春、国際医療福祉大の小田原保健医療学部長に就任予定。