本田さんに楽曲を提供したことがあるロック歌手の忌野清志郎(54)は、あまりに早すぎる他界に「えっ!そんなことが…」と大きなショックを受けた。
6日は約20年ぶりに「早稲田祭」に参加。終演後、スポニチ本紙の取材で悲報を知った。
抜群の歌唱力でアイドル界のトップに立った本田さんは80年代に、大物ギタリストのゲイリー・ムーアに楽曲提供を受けるなどロック色を強め、88年に「MINAKO with WILDCATS」を結成。その第1弾「あなたと、熱帯」を清志郎が作曲した。「すごくまじめな子でビックリしたのを覚えている。歌はうまいしね。その時は“仕事にそんなに気を張らず、もっと軽く考えるようにした方がいいよ”って伝えたんだけど。若いのにとにかくしっかりしてた。残念です」と惜しんだ。
早稲田祭では「スローバラード」「雨あがりの夜空に」「キモちE」など代表曲をたっぷり披露。「ワセダベイベ~!君たちに聞きたいことがあるんだぁ、愛しあってるか~い?」と何度も“ラブ&ピース”を訴えた。
≪ペギー、服部氏も肩落とす≫本田さんが最も尊敬していたという歌手のペギー葉山(71)。メールや手紙を交わし合う仲で、突然の悲報に「本当にショック」とコメントした。先月24日に夫の根上淳さん(享年82)が亡くなった際にも花を贈ってもらったようで「またひとつこの秋に悲しいことが起こってしまいました」と肩を落とした。昨年9月4日の恒例コンサート(東京・青山劇場)で本田さんと共演。「親子の共演だねって2人で喜んだんですよ。デュエットしたり、クラシックの曲を歌ってもらったり。娘みたいに思っていた」と思い出を語った。
本田さんにクラシックの道を指南した作曲家の服部克久氏(69)は「高くてきれいな歌声が(クラシックに)向いていると思った。これからという時に…残念でならない」と話した。本田さんがデビュー前の84年9月にグランプリを獲得した長崎歌謡祭で審査員を務めた。00年にはシドニーのオペラハウスで開かれたライブイベントで共演した。「何事にも一生懸命な人だった」と故人を悼んだ。