1985年の日航機墜落事故の残存機体が、東京・羽田の日航安全啓発センターで展示されている。公開1カ月で約1500人が、事故原因とされる修理ミスの圧力隔壁やつぶれた座席を見学した。
遺族でつくる「8・12連絡会」が機体の保存と公開を毎年求め、これを拒否してきた日航を翻意させた。9歳の二男・健ちゃんを亡くし、同会事務局長を20年間務める美谷島邦子さん(59)は「事故から一つでも多くを学んでほしいという遺族の訴えがかなった」と話す。
事故現場の群馬県・御巣鷹の尾根は、前橋支局の新人記者だった私が地獄絵を取材した「悲しみの山」。事故直後、私は母子と小学校の同窓という縁で、美谷島さんから「原因をしっかり追いかけて」とつづられた手紙を託された。5年後、関係者を不起訴にした検察責任者の答えは「真の原因は不明」。ずっとやり切れない思いだ。
美谷島さんは「原因究明と責任追及が両立するシステムが必要」と主張する。内紛続きの日航は今も、御巣鷹の教訓をどう生かすかが問われている。【徳増信哉】
毎日新聞 2006年6月6日 12時59分