「あまりいっぱいボートに人が乗ったので沈みそうだ」--。何年も前から安倍晋三官房長官を「ポスト小泉」候補に推してきた自民党の若手議員は、こうぼやいているという。自民党総裁選をめぐる最近の党内情勢を指してのことである。
総裁選は1日に安倍氏が正式に出馬を表明し、安倍氏と谷垣禎一財務相、麻生太郎外相の3候補が出そろう。
ところが、安倍氏がまだ政権構想も発表していないというのに、安倍氏が属する森派はもちろん、丹羽・古賀派、伊吹派、二階派、高村派が相次ぎ安倍氏支持の方向を打ち出した。自主投票を決めた津島派も大半の議員が、山崎派も半数近くが安倍氏支持という。つまり、谷垣氏が率いる谷垣派、麻生氏が属する河野派以外は、なだれをうって安倍氏に傾き、出馬表明前に「オール安倍」体制に近い状況が作られたということだ。
安倍氏陣営の合同選対本部の実態は派閥の連合体で、人選も派閥均衡型だ。ここに名を連ねるのが今後の人事に有利になると思ってか、閣僚に推したい議員を送り込んだ派閥もあるというから驚く。このほか元々、安倍氏を推していた中堅・若手で作る「再チャレンジ支援議員連盟」や、新たに名乗りを上げた支援グループが「我も我も」と乱立する状況である。
小泉純一郎首相は確かに派閥の力をそいだ。安倍氏もそれを踏襲しようというのだろう。自ら森派を離脱し、「脱派閥」の選挙戦を展開しようとした。しかし、森派色を薄めようとした結果、逆に各派が「丸乗り」しやすくなったと言えなくもない。安倍氏を推す若手が造反し、派閥が分裂するのを恐れて、安倍氏支持や自主投票を決めた派閥もある。「脱派閥」の動きが逆に派閥を延命させようという動きにつながる皮肉な構図でもある。「元祖・安倍派」を自任していた若手らがぼやきたくなるのも無理のない話だろう。
懸念されるのは、こんな状況で真っ当な政策論争が展開される総裁選になるのかということだ。
かつてなら、総裁候補のいない派閥は、たとえポーズであっても「政権構想をしっかり聞いてから態度を決める」程度の姿勢は示したはずだ。それが「バスに乗り遅れるな」とばかりにプライドを捨てたような先陣争いである。
ここにきて安倍氏支持を打ち出した派閥幹部の中には、最近まで小泉首相や、その路線を基本的に引き継ぐであろう安倍氏の対中国、韓国外交を批判していた人もいた。その後、安倍氏と長い時間、議論したという話も聞かない。
これでは政策など二の次と言っているに等しい。それとも、小泉首相を総裁に選びながら、唯一の政策と言えた郵政民営化に多くの議員が反対したように、政策など後で何とかなるというのか。一方、誰もが安倍氏になびく中で、安倍氏は小泉首相のように思い切った人事を断行できるだろうか。
安倍氏の独走は動きそうもない総裁選だが、自民党の実像をじっくり見つめる機会ともしたい。
毎日新聞 2006年9月1日