特派員リポート 牧野愛博(ソウル支局長)
7月のある夜。韓国焼酎を飲みながら、「この前は大変だった」と取材先がため息をついた。彼は脱北者。北朝鮮の警察・軍事機関にいた人物で、私が定期的に会食している取材先の一人だ。
前回会った5月末に気になることがあった。食堂に入る時、尾行されている気配を感じたからだ。若い男が後をついてくる。念のため、店にすぐ入らずに様子をうかがった。若い男は携帯電話をいじりながら、十数メートル離れた物陰に立っている。思い切って近づくと、きびすを返して立ち去った。会食して別れる際、取材先の脱北者に「もしかすると、尾行されるかもしれない。気をつけて」と言って送り出した。
果たして7月に再会したとき、この取材先はその後のいきさつを語ってくれた。駅で地下鉄を待っていると、自分に注がれる複数の視線を感じた。男性が2人、女性が1人。取材先は私の「警告」が頭の隅にあり、列車の中でもさりげなく周囲をうかがっていた。するとこの3人が代わるがわる取材先のそばに張り付いたという。1人は不自然な格好で携帯電話を操作していた。「私の顔写真を撮影したのだと思う」。取材先はそう言いながら、焼酎をあおった。
取材先は用心し、自宅の最寄り駅で降りた後、すぐに帰宅せず、30分ほど知人宅で過ごした。知人宅を出て、辺りをうかがうと、あの3人が別々の物陰に立っていた。結局、3人はアパートまでついてきた。最後に取材先が携帯電話で3人を撮影しようとすると、3人は慌てて走り去ったという。
話を聞いていた私は「やはり」という思いと、「またか」という思いにとらわれた。
その1カ月ほど前、会食場所に向けて移動していた私に、相手から電話がかかってきた。「今日は会えない」。携帯電話の向こうから、いくぶん緊張した声が流れ込んできた。
この相手は会食時間の30分ほ…