黙して語らぬ黒衣(くろご)の存在の官僚が、映画の主人公になることは滅多にない。「返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す」(柳川強監督)は、実在した外務官僚の千葉一夫さん(2004年没、享年79)の生涯を描いた稀有(けう)な作品だ。
戦後、米国との沖縄返還交渉に携わった千葉さんは、「鬼」と呼ばれるタフ・ネゴシエーター(屈強な交渉者)だった。終生、沖縄を愛してやまず、その心情の根っこには、兵役に就いた戦争体験があったという。
映画では井浦新が演じる千葉さんは1967年末、外務省北米課長(後に北米第一課)になり、沖縄が72年に返還される数カ月前までの約4年間、その任にあった。英語の達人で、返還交渉の中枢にいただけでなく、「彼がいなければ、沖縄は、今と違う姿で返されていたかも知れない」とまで語り継がれた人物だ。
「鬼」の異名の由縁は、ずば抜けて頭の回転が速い分、気が短く、部下を叱咤(しった)する場面が多々あったからだが、脚本を書いた西岡琢也さんは「ただの熱血漢ではなく、懐の深い大人(たいじん)の風格も備えていた」という。
「核抜き・本土並み」を焦点とした米国との実務交渉では、ジョーク交じりの軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)な話術で打ち解けながら、不合理な要求は決然としてはねのけ、かたくなに対等な立場で議論を尽くそうとした。その一方で、沖縄を15回も訪れ、米国の施政下にあった実態をつぶさに見て歩いていた。
「沖縄の人々が理不尽な差別を耐え忍んでいる姿に自身の戦争の記憶が結びつき、際限なく、のめりこんでしまったようです」と西岡さんは語る。
千葉さんは父親も外交官だった。小学生のころはパリ育ちの帰国子女で、その後、学習院で学び、44年、19歳で志願して海軍に入った。内地で米軍の無線を傍受する任務を与えられ、沖縄戦で無差別な艦砲射撃を続ける米軍の通信に、なすすべもなく聞き入っていたのだった。
駐英大使でキャリアを終えた後も、沖縄への愛着は尽きることがなかった。晩年も、妻を連れて、すべての島々へ渡ったという。
出演は他に、石橋蓮司、大杉漣、佐野史郎、戸田菜穂ら。25日から、大阪市のシネ・リーブル梅田、京都市の京都シネマで公開。(保科龍朗)