豪雨、台風、そして地震。災害が絶えぬこの国の建築家として、仕事に注ぐのと同じ力を、被災地での支援活動に注いできた。東に大きな地震があれば、来る日も来る日も避難所に通い、西に豪雨があれば、紙と布を使ってプライバシーが守られる空間を作る。坂茂(ばんしげる)さん、支援を続けてきたこの23年間で、避難所は変わりましたか?
世界的建築家、避難所に間仕切りで「我が家」築く 倉敷
――地震があった北海道にも入るそうですね。
「呼ばれたわけではありませんが、ほかの仕事を調整して行く予定です。紙管の枠組みと布を使った間仕切りを、避難所につくる準備をしています。阪神大震災以来、中越地震や東日本大震災、熊本地震と様々な被災地を訪れ、支援してきました。でもこの23年間、自治体の側から『来てくれ』と言われたことは、一度もありません」
――これだけ活動が注目されても、呼ばれたことがないと。
「トルコやインドなど、海外の国から呼ばれることはあるのですが、日本ではありません。どこに行っても役所の対応は同じです。『前例がないから必要ない』が大前提です。仕切りはない方が管理しやすいというんですね。陰で酒でも飲まれたら困るとか。プライバシーの必要性を言葉で説明してもなかなか通じません。だから実際に設置し、便利だとわかってもらう実力行使しかありません」
――建築家ならもっと大きな仕事もできると思うのですが、なぜ間仕切りなのですか。
「だって、プライバシーって、人間にとって最低限必要な人権じゃないですか。プライバシーがない避難所を避けて車中泊して、エコノミークラス症候群になるなど命に関わることもあります。避難所にプライバシーがないと気づいたのは阪神の時でしたが、20年以上経っても避難所の雑魚寝の風景は変わっていません」
――「みんな大変なんだから、それぐらいは我慢しろ」ということですかね。
「2009年にイタリア・ラクイラ地震の支援のため現地に入った時、日本とは違うなと思いました。避難所はなく、一家族ごとに、軍が支給したテントで暮らしていました。プライバシーの考え方が違うのです。そうかと思えば16年のイタリア中部地震では、日本と同じようにプライバシーのない避難所ができていました。間仕切りを持ち込むと、被災した人たちは、『もっと持ってきて』と遠慮なく頼んできました。ところが日本の避難所では、みなさん『申し訳ない』と言います」
――間仕切りさえ「贅沢(ぜいたく)」だということ?
「僕はそんな風に思う必要はな…