被爆の惨状を描き、反戦反核の象徴として広く知られる「原爆の図」。社会的役割の大きさの一方、美術的な評価の対象には長らくされてこなかった。作者の丸木位里(いり)(1901~95)・俊(とし)(12~2000)夫妻の画業を振り返りつつ、「原爆の図」の絵画表現を読み解こうという展覧会が、広島市現代美術館(
https://www.hiroshima-moca.jp/
、082・264・1121)で開かれている。日本画家の位里と洋画家の俊が共同で描き上げた「原爆の図」から、私たちは何を読み取れるだろうか。
展示は「原爆の図」以前の夫妻それぞれの作品から始まる。水墨による独自の表現を探求した日本画家の位里と、南洋に渡り量感豊かな裸体表現を身につけた洋画家の俊。展示室に並ぶ2人の作品を追っていくと、後の「原爆の図」に通じる特徴が随所に表れていることがわかる。
たとえば、位里の「牛」で画面を覆う墨の濃淡は「原爆の図」にも用いられている。「裸婦(解放されゆく人間性)」など、俊の作品群で見られる人物描写も同様だ。
そして、展示は地階へと移る。緩やかにカーブした壁に沿って、縦1・8メートル、横7メートル超の「原爆の図」が並ぶ。腕を前に突き出し、裸でさまよう人。真っ赤な炎の中に横たわる赤ん坊。大画面に描かれた人物はほぼ等身大で、リアルな存在感を持って目の前に迫ってくる。
全15部の連作だが、今展では第5部までと、50年代初めにつくられた第1~3部の再制作版を展示している。再制作版は、アメリカでの展示を依頼された夫妻が紛失に備えてつくったもので、構図はほぼ同じだが、タッチなど細部が異なる。
広島出身の位里は原爆投下の数日後に広島を訪れ、俊も後に続いた。そして2人は、自身の体験や家族などから聞いた話をもとに「第1部 幽霊」(当初の題は「八月六日」)を制作。その後、「第2部 火」「第3部 水」を完成させた。全国で展示された「原爆の図」は、被爆地の惨状を伝えるメディアの役割も果たした。会場では、全国巡回の様子を紹介する資料も展示している。
笹野摩耶学芸員は「異なるジャンルの2人の画家が、これだけの大作を共同で描き続けたのは珍しいことだと思う。当時の社会的需要や役割も含め、『原爆の図』を深く知ってもらいたい」と話す。
「丸木位里・俊―《原爆の図》をよむ」展は11月25日まで。月曜(祝休日の場合は翌火曜)休館。一般千円。(松本紗知)