鎌倉時代の僧で、時宗(じしゅう)の開祖・一遍(いっぺん)(1239~89)の生涯を絵と詞書(ことばがき)(文章)で紹介する全12巻の国宝絵巻「一遍聖絵(ひじりえ)」が来春、京都市東山区の京都国立博物館で公開される。風景表現に優れ、庶民の暮らしがいきいきと描かれるが、絵師の素性は不明で、謎を秘めた絵巻でもある。
「一遍聖絵」は縦約38センチ。12巻すべてを広げると長さは約130メートルに及ぶ。絹地に描かれ、文章の部分の下地は赤や黄、緑などの色がつけられ、手の込んだ仕上がりになっている。
絵巻の最後に書かれた記録によると、一遍の高弟にあたり、絵巻にも登場する聖戒(しょうかい)が文章を起草し、円伊(えんい)という絵師が絵を描いた。一遍の没後10年たった1299年に完成した。
一遍は四国に生まれ、各地を巡り、念仏に合わせて体を大きく動かす「踊(おど)り念仏」で布教を続けた。一遍の死後、聖戒は円伊らとともに一遍ゆかりの土地を再訪したと伝えられ、当時の風俗が忠実に描かれているとされる。
巻7の京都・市屋道場の場面には、踊り念仏を見物する群衆から少し離れ、ほぼ裸でやせた人たちがいる。京都国立博物館の井並林太郎(いなみりんたろう)研究員は「社会的な弱者とみられる。あらゆる身分の人たちが、一人ひとりの表情豊かに描かれている」と語る。
風景表現も巧みだ。雪をいただいた富士山を描いた巻6からは、雄大ながらも、もの悲しい雰囲気が伝わってくる。巻2の伊予国の奇石がそびえる場面には、中国の水墨画の技法を駆使して険しい岩山の風景を描いた。絵師の円伊については、日中それぞれの画法を担当した複数の絵師が属した工房の指導者ではないか、という見方が有力だ。
踊り念仏が急速に広まった様子も描かれている。初めての踊り念仏の場面は巻4にある。1279年に信州小田切の里で数人で始まったが、その5年後にあたる巻7の市屋道場では一遍ら何十人もの僧が舞台のような建物で踊り、見物人が詰めかけている。
末木文美士(ふみひこ)・東京大名誉教授(仏教学・日本思想史)は「幅広く民衆を巻き込んでいった踊り念仏は、のちに政治権力者から警戒されることになる」と指摘する。(森本俊司)
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一遍聖絵は、京都国立博物館で来年4月13日~6月9日に開かれる「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展(朝日新聞社など主催)で公開される。会期の途中で巻き替えて、全場面を紹介する予定だ。問い合わせは博物館(075・525・2473)へ。