岐阜県にある江戸時代の旧旗本家に伝わる古文書「高木家文書」。10万点近くに上る資料を整理・保存する取り組みを名古屋大学付属図書館(名古屋市)が続けている。木曽三川流域の治水の歴史が詳しく記録されており、自然災害との関わりを考える貴重な資料として価値が高まっている。
書庫の棚にぎっしりと積まれた白い紙箱。一つひとつに番号や分類項目を記したシールが張られている。その数、1千個ほど。部屋の奥には未整理の文書が入った古い段ボール箱も山積みになっている。
「虫食いがあると修復します。現在までに約6万4千点の整理が終わりました」と、名古屋大大学院人文学研究科の石川寛・特任准教授(日本史)が、箱の中から紙に包まれた古い日記を取り出してみせた。
10万点の古文書
10万点近くに上る高木家文書。1950年代、古紙業者に売りに出されていたものを、高木家の知人の中島俊司さん(故人)が「将来、学問をする子どもたちのために」と仲介し、名大がまとめて購入することになった。以来、所蔵する付属図書館が整理・保存・活用事業を続けている。
古文書は、つねに洪水に襲われ続けてきた木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域で暮らす人々が、川と自然にどう向き合ってきたかを映し出す。川の決壊場所を記した絵図、工事に関わる仕様書や帳簿、村人からの嘆願書や堤防の設置場所をめぐる村同士の争いの記録など、統治者側だけでなく住民のあり方もうかがい知ることができる。
被害状況、明確に記載
石川さんによると、18世紀以降、江戸幕府の治水政策は、「被害が出たら直す」といった復旧工事中心から、水害予防を重視する方針に転換していったという。高木家文書には、家臣が普段から川を巡検し、障害物の除去などを村人に命じていた記録なども残る。
当時の家臣の日記には地震や噴火による揺れや被害状況なども克明に記されている。石川さんは「洪水や地震が頻発するいま、自然環境とどう向き合うかが課題。江戸時代の人々が川とどのような関係を築いてきたのか、読み解くことに意義がある」と話す。
電子化が作業進む
文書の調査研究を進める図書館は、1971~82年度に約5万2千点について整理分類し、5冊にわたる目録を刊行。89年度に整理を再開し、2001年度からはインターネットで文書を公開する電子化の作業を進めている。
これまでにデジタル画像化された資料は約4千点にとどまる。未整理の文書を含め、膨大な作業が今後も見込まれており、事業を継続するためのさまざまな取り組みも始まっている。
デジタル化の意義について石川さんは「関心分野の異なるさまざまな人が閲覧できることで、高木家文書の色々な側面が見えてくる。文書の魅力が明らかになるとともに、地域の素晴らしさを再認識できるようになる」と話している。
図書館は保存整理事業などの費用を賄う基金への寄付を募っている。詳細はウェブサイト(
http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/kikin/index.html
)。(中野龍三)
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〈高木家文書〉 江戸時代に美濃国石津郡時・多良両郷(現在の岐阜県大垣市上石津地域)を知行地とした旧旗本交代寄合・西高木家に伝わる10万点近くの古文書群。明治維新で多くの旗本家の文書が散逸するなか、まとまって残っているのは全国でも珍しく、旗本家や幕藩体制の実態を解明する貴重な資料とされる。とりわけ、高木家は幕府の命で木曽三川流域の河道の監視や整備を担当する「川通掛」(水行奉行)を任されたため、流域の治水関係資料が約1万4千点伝わっている。