小説を書くとは、書き方を教えるとは、どういうことなのか。作家、谷崎由依さんの新刊『藁(わら)の王』(新潮社)は、大学で創作を教える自身の実感に基づく表題作など4編を収めた作品集。幻想に満ち、昨年度の芸術選奨新人賞を受賞した前作『鏡のなかのアジア』とは打って変わって、文学に生身で迫る意欲作だ。
谷崎さんは2007年、「舞い落ちる村」で文学界新人賞を受賞し、デビュー。創作のほか英米小説の翻訳も手がけ、2015年4月には近畿大学文芸学部で創作を教える講師になった。現在は准教授だ。
表題作「藁の王」の主人公も、大学で創作を教える小説家の〈わたし〉。構内に木々の生い茂った「森」がある大学で、戸惑いながら学生たちと向きあう。
執筆のきっかけは、自身が創作を教えながら覚えた違和感や疑問、学生と接して感動したことなどを書きとめたメモだった。「最初は生々しすぎて小説にはならないと思っていた」が、「これは自分にとって書かないといけないことだ」と思い直したという。
学生はモデルにしないよう気をつけたが、主人公には、あえて名前を付けなかった。「普段書くときは、もっとフィクションとして見せる工夫をしています。でも、『藁の王』はそうしなくてもいい。私小説として読まれてもいいかな、という気持ちでした」
本作は小説についての小説だが、創作論へは向かわない。書くこと、教えることに行き詰まる主人公を通して浮かびあがるのは、生きることの孤独だ。
「私にとって、書くことは生きることとつながっている。対話の難しさ、言葉を発することの難しさ、その孤独。それはずっと考えてきたことなんです」
小説家の孤独、教員の孤独。さらに、妊娠出産をめぐる女性の孤独にまで筆は及ぶ。自身に子どもはいない。「妊娠出産は私にとって、一種のオブセッション(強迫観念)みたいなもので、小説を書くと、どうしても出て来てしまう」。それは、夏休みを南太平洋上の島で過ごす夫婦を描く収録作「蜥蜴(とかげ)」にも色濃い。
「生まないといけないと思わされたり、生んだら仕事ができないと思ったり。どんなプレッシャーも感じなくていい世の中が一番いいなと思うんです。でも、いまはそれがすごく強い」
だが、「藁の王」を書いたことで「ようやっとそこから自由になれた」とも。「何か手渡せた感じですかね。自分がやれなかったことも、学生は乗り越えていってくれる。楽観主義に聞こえるかも知れませんが、未来はきっと明るいと、信じたいですね」
本体1800円。(山崎聡)