秋田県藤里町で小学1年男児が絞殺された事件で、被害者の自宅の2軒隣に住む女性が死体遺棄容疑で県警に逮捕された。4月に水死体で発見された女性の小学4年の長女は、男児と仲良しだった。動機や殺害への関与の有無、長女の水死との関係などは明らかになっていないが、顔見知りの犯行だったことへの衝撃は大きい。とりわけ男児の遺族や関係者はやりきれないことだろう。
通学路で幼児が襲われる事件が相次いだため、通り魔的な犯行を念頭に登下校時の安全をいかに守るかをめぐって進められていた論議も、肩透かしを食った感がある。「見知らぬ人に声を掛けられてもついて行くな」といった子供への注意も、親しい人に裏切られては役に立たない。今年2月、滋賀県長浜市で幼稚園児2人が別の園児の母親に殺された時も暗たんたる思いがしたが、安全を守るべき人が加害側に回るケースが続くと、いったい誰を信用すればよいのか分からなくなってしまう。
一連の幼児殺害事件を通じて明らかになったのは、子供を確実に守るための決め手はないということかもしれない。防犯カメラが確信的な犯罪の抑止につながらないことは、川崎市のマンションで3月、小学3年の男児が投げ落とされた事件でも明らかになった。入りやすく見えにくい場所が犯行現場に選ばれるから、と地域ごとに防犯マップを作製して注意を促す手法にも限界はある。
今こそ、子供を守ろうとの気概を新たに、社会の総力を挙げて子供の安全を確かなものにする施策に意欲的に取り組まねばならない。親が子を愛したり、身をていして守って当たり前と考えていたら、大間違いだ。赤ちゃんを車に寝かせてパチンコに興じる夫婦もいる。続発する幼児虐待事件の加害者の多くは親たちだ。経済的理由などから子殺しを繰り返してきた暗い歴史も忘れてはならない。
子供を親の従属物と考えるような風潮も依然として残るし、自分の子を殺した親への判決の量刑が一般の殺人事件より軽いのも奇妙な話だ。子供の人権が未確立で、命が粗末にされている証拠だ。こうした状況は、安易に幼い命が奪われることと無縁でない。改めて命の大切さを皆でかみしめるところから始める必要を痛感する。
漫然と親や大人の善意を期待していたのでは、子供の安全は守れない。学校でも地域でも、それぞれの立場で子供たちを温かく見守っていこう。近隣住民が共同して参画できる仕掛けを考え、地域の連帯を深めてもいきたい。困窮する母子家庭を物心両面で支援したり、悩みを抱える親たちが気軽に相談を持ち込める窓口も増やしたい。一つ一つは決定打にならなくても、小さな積み重ねがいつかきっと役に立つ。
警察もまた、登下校時に学校周辺での重点的なパトロールを実施し、不審者への職務質問を励行して犯罪の事前抑止に努めるべきだ。子供をぜがひでも守るとの人々の意識と決意が、なによりの防犯対策となるはずだ。
2006年6月6日 0時16分