NHK交響楽団正指揮者やメルボルン交響楽団終身桂冠指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督など数々の指揮の要職につき、国際的な指揮活動を行う一方、軽妙なエッセーを書き、また歯にきぬ着せぬ主張で音楽界のご意見番でもあった岩城宏之(いわき・ひろゆき)さんが13日午前0時20分、心不全のため東京都内の病院で亡くなった。73歳だった。葬儀は遺志により親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。自宅は東京都港区元麻布2の9の1。喪主は夫人でピアニストの木村かをり(きむら・かをり)さん。
東京生まれ。東京芸大打楽器科に在学中、学生オーケストラを作って指揮を始め、近衛管弦楽団のティンパニー奏者を経て、N響の指揮研究員に。客演する世界の巨匠から目の当たりに指揮を学んだ。1960年、27歳でN響ヨーロッパ・ツアーに正指揮者として同行、エネルギッシュな指揮、ダイナミックな表現で注目を浴びた。翌年からドイツ、オーストリア諸都市のオーケストラに次々に客演、ちょうどアメリカ、カナダなどで脚光を浴び始めた小沢征爾さんとともに“海外に認められる日本人クラシック演奏家の新世代”として並び称された。
ベルリン・フィルやウィーン・フィルなど世界のトップ・オーケストラに客演する一方、69年にオランダ国立ハーグ・フィルの常任指揮者、73年にメルボルン交響楽団の首席指揮者に就任、メルボルンには岩城の名を冠した「イワキ・ホール」もできた。
一方、日本での活動にも力を入れ、75年に札幌交響楽団の正指揮者に就いたほか、88年には「日本にも本格的な室内管弦楽団を」と「オーケストラ・アンサンブル金沢」創設の中心になって音楽監督に就任。モーツァルト、ベートーベンなどの古典と、自らのポケットマネーで日本人作曲家に委嘱した現代曲を取り上げ、個性的なオーケストラに育て上げた。文章は日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど玄人はだしで「棒ふり旅がらす」「楽譜の風景」など著作も多い。
中島健蔵音楽賞、サントリー音楽賞、紫綬褒章を受賞。
2000年から体調を崩し、01年春手術。指揮活動をいったん再開したが、容体が悪化した。今年4月、肝機能障害のため都内の病院に入院していた。
毎日新聞 2006年6月13日 15時04分