納豆を食べるには、いつも下準備がいる。大量の納豆を丼に入れ、はしで何百回もかき混ぜるのだ。白い糸が増えてくる。そこへしょうゆを数滴落として練り続ける。はしが重くなったらまた数滴落とす。「糸を出すほど納豆はうまくなる」という美食家、魯山人の説の通り20年以上これを実践してきた。
ところが、納豆の分量が「100円で3パック」などと小型化してきた結果、今は納豆もしょうゆもカラシも一つ一つ小さなパッケージに入っている。いちいち開けるのは面倒だし、ゴミが増える。
人気番組「8時だヨ! 全員集合」の放送は1969年から85年である。「午後8時には家族全員がテレビの前に集合しよう」というタイトルだ。「全員」と言うからには、1人や2人の家族ではなく、少なくとも3人以上のことだろう。しかし国の推計では、今や1人世帯は28%、夫婦2人世帯は20%である。全国の半分は「全員集合!」のかけ声に応じにくい1人か2人の世帯なのだ。
“孤食”を反映し、スーパー店頭では「肉は一切れから」「食パンは1枚から」といったバラ売りが復活し、冷凍食品は「少量パック」が売れ筋という。納豆に限らず、子供のころはトロロ芋や削り節作りも手伝わされた。それらを、ちゃぶ台を囲んだ大勢で食べたのも遠い昔だ。
大家族の「全員集合」はともかく、メンバーを問わない大人数の食事も、たまにはいいんじゃないでしょうか。まあ、現代の納豆も100円3パックで美食家を気どる方が無理で、ワラなどに包まれた高級納豆を使えばいいわけだが。(西部本社)
毎日新聞 2006年7月2日 0時13分