デジタルカメラや携帯電話に欠かせない記憶装置「フラッシュメモリー」の発明対価として、東芝が元社員で東北大電気通信研究所の舛岡富士雄教授(63)に対し、8700万円を支払うことで合意した27日の和解は、「1億円前後」という対価の相場観を作る内容といえる。今後の同種訴訟や企業の対応に影響を与えそうだ。
「大発明の対価は『1億円もしくは準ずる金額』という3件の先例に続く和解だ」。和解成立を受けて会見した舛岡教授の代理人、升永英俊弁護士は、そう意義付けした。
3件の先例とは▽CD読み取り▽人工甘味料▽青色LED--を巡る各訴訟を指す(別表)。判決や和解での金額を見れば、一般消費者も恩恵にあずかるような発明の対価は「1億円前後」という相場ができつつあると言えそうだ。
職務発明の対価の基準を発明者と「協議」したり「意見の聴取」をするよう会社側に求めた改正特許法(05年4月施行)は、04年1月に具体的な改正内容の検討を始めた。この検討時期と「1億円前後」の対価を司法が認めた時期はおおむね重なる。発明者の権利を保護する法改正を意識した司法判断がうかがえる。
今回の訴訟でも、東京地裁は係争中の3件のうち2件が結審した直後、8700万円という金額を明示して和解を勧告した。金額の根拠は示されなかったが「いつでも判決を言い渡せる状態での勧告には逆らえない」と升永弁護士は言う。
ただし「1億円前後」の相場が固まるか否かはまだ不確かだ。特許法は発明対価の金額を「相当の対価」と定めるが、どの程度が「相当」なのか明快な算定式はない。会社側と発明者の貢献度などを比べて金額を算出するのが一般的だが、専門家によると過去の裁判で会社側の貢献度は35~95%と事例ごとに大幅に違っていた。
知的財産権に詳しい松村信夫・大阪市立大法科大学院特任教授によると、最近は会社側の貢献度が重視され、発明者の対価が低くみられる傾向にあるという。「その流れに沿った和解だ。発明者の地位向上は対価だけではなく(人事などの)扱いなども含めた長期的・政策的な配慮が必要だろう」と指摘する。【高倉友彰】
◇訴訟、企業改革を後押し
発明を巡って技術者が裁判を起こす動きは、90年代末から相次ぎ、法律改正、さらに企業改革を促す原動力となった。
会社での発明(職務発明)の取り扱いを定めた特許法旧35条が「発明の権利は従業員にあり、相当の対価で会社に譲渡できる」と定めていたものの、「相当の対価」を明示していなかったことから、労使の争いが法廷に持ち込まれ「訴訟ラッシュ」となった。これを機に35条は改正された。
厚生労働省所管の「労働政策研究・研修機構」が今年7月に公表した上場企業対象(3783社)の調査では「最近5年間で、対価見直しで報奨金支給を引き上げた」とした社は、回答した613社のうち44%と、02年当時の調査に比べ20ポイント以上も増加。労使協議の場を持ち、内外に公表する企業も増えるなど、法改正が企業内の改革を後押ししている。
例えば、東芝や三菱電機、松下電器産業など家電メーカーをはじめ、自動車メーカーではホンダ、製薬会社の武田薬品工業、第一三共などは、発明による報奨金の上限を撤廃。さらに「発明相談委員会」「工業所有権審査委員会」など、報奨金に関する異論や相談を受け付ける窓口を設けて対応している。
しかし「1億円相場」の流れは、長期的に見て技術者のやる気をそぐ恐れもある。
05年1月、東京高裁の勧告で日亜化学工業と和解し、1審で認定された約200億円を8億円に減額された中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(52)は「司法は企業を守る発想に立っており、最高裁に持ち込んでもムダだというあきらめから和解を受け入れた。舛岡さんもそういう気持ちではないか」と語る。
政策研究大学院大学の隅蔵康一・助教授(知的財産権)は「8700万円という金額は日本のプロ野球のスター選手の年俸に満たない。技術の世界でもスターの成功物語があれば、子供たちが理工系を目指し、次世代を担う技術者が増えるという好循環が生まれるだろう」と話す。【元村有希子】
■職務発明の対価を巡る主な裁判■
企 業 裁判状況 判決や和解額 発明者請求額
(対象の技術)
オリンパス 最高裁判決 約230万円 2億円
(ビデオディスク)(03年4月)
日立製作所 最高裁審理中 約1億6300万円 2億5000万円
(CD読み取り) (04年1月※)
味 の 素 高裁で和解 約1億5000万円約6億9000万円
(人工甘味料) (04年11月)
日亜化学工業 高裁で和解 8億4391万円 201億円
(青色LED) (05年1月)
東 芝 地裁で和解 8700万円 約11億円
(フラッシュ (06年7月)
メモリー)
キヤノン 地裁審理中 - - 10億円
(プリンター)
※東京高裁の判決日
毎日新聞 2006年7月28日