東京・葛飾のマンション内で政党のビラを配り、住居侵入罪に問われた僧侶に対し、東京地裁が「違法な行為とは認められない」として無罪を言い渡した。防犯やプライバシー保護の観点から、住民が部外者の共有部分への立ち入りに不安や不快感を募らせていることを考慮する一方、御用聞きや訪問販売が認められてきた歴史なども指摘し、ビラ配りを処罰すべきだとの社会通念までは確立していない、と結論付けている。
判決は、政治ビラの配布であっても、直ちに表現の自由を保障する憲法21条を根拠に正当化することは困難、とも述べている。集合住宅の住民には共用部分に立ち入った他人による政治的意見の表明を受忍する義務はなく、ポストに入れられたビラの処分を強制される以上、政治目的でも容認されるとは限らない、との理由だ。
表現の自由と住民のプライバシーのバランスを考慮したのだろうが、表現の自由は基本的人権の中でも民主主義社会を支える根幹であり、最大限に尊重されねばならない。ビラは人々に思想や意見を手軽に伝えることができ、住民運動や動員力、資金力に乏しい団体の政治活動にとっては欠かすことができない情報伝達手段だ。判決は、起訴事実について外形的には住居侵入罪を構成するとした上で、いくつかの理由を掲げて違法性を否定する論法を取っている。表現の自由の重大性や政治活動としてのビラ配りの重要性について真正面から言及していない点では、物足りなさを禁じ得ない。
それにしても、ビラを配っただけで被告が23日間も拘置されたのは、なぜなのか。被告は1階の集合郵便受けでは他のチラシ類と紛れてしまうと懸念し、各戸のドアポストにビラを投かんしていた。見とがめた住民が110番通報し、急行した警察官が住民の求めに応じて逮捕したという。宅配業者や水道の検針員などを装った強盗、窃盗犯が増えている折、一般的には、他人の住居に立ち入った者が身元を明かさない場合、警察が住居侵入容疑で逮捕するのは無理からぬところだろう。政治ビラを配っていても、偽装工作の可能性を否定しきれないからだ。だが、身元が判明し、立ち入りの目的も違法でないことがはっきりした段階で、直ちに身柄を釈放すべきは言うまでもない。被告の拘置を請求した検察と請求を認めた裁判所の判断に、問題はなかったか。
判決が指摘するように、最近はオートロックシステムなどで部外者を排除しようとする集合住宅が増えており、共有部分は私的領域としての性格を強めている。ビラを配る側も、プライバシーを重視し犯罪多発に警戒心を強める住民の心情を酌み取りながら、無用な疑念やトラブルが生じないように細心の注意を払わねばならない。住民側も居住者全体の意向や、民主社会におけるビラ配りの必要性をも念頭に入れて、対応が過敏にならないように努めるべきだろう。捜査当局に柔軟さが求められていることは、言うまでもない。
毎日新聞 2006年8月29日