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記者の目:首相8・15参拝と「時間支配」 伊藤智永

作者:伊藤智永  来源:mainichi-msn   更新:2006-8-30 7:38:22  点击:  切换到繁體中文

 日中戦争が始まった1937年以降、ラジオの普及とともに国民精神総動員運動が繰り広げられ、翌年から、昭和天皇は靖国神社の春秋の臨時大祭に欠かさず参拝するようになった。

 38年4月27日付の東京日日新聞(毎日新聞の前身)夕刊は、1面がすべて参拝報道で埋まり、記事に「十時十五分から一分間全国動くものはすべて停止し臣民皆黙祷(もくとう)を捧(ささ)げた」とある。天皇が玉ぐしをささげる時刻が、毎回「全国民黙祷時間」とされていたのだ。原武史・明治学院大教授(日本政治思想史)は、これを「天皇の時間支配」と呼んでいる(保阪正康氏との共著「対論昭和天皇」)。

 テレビで小泉純一郎首相の「8・15参拝」を見ながら、この史実を連想した。ラジオはテレビ、天皇は首相、黙祷は凝視に変わっても、日本中で同時刻、たくさんの「私」たちが同じしぐさを共有するよう時の権力者から仕向けられている。そのことに居心地の悪さを覚えたからだ。戦前は強制的で今は自発的、という違いさえ、どれほどの違いか疑わしい気がする。

 「年1回必ず行く」「いつ行こうが自由だ」と好奇心を巧みにあおり、日時は「サプライズ」、衣装は「カメレオン」と、毎回お楽しみたっぷりの参拝を繰り返した首相の演出に、まんまと乗せられたのは「私」たち自身に他ならない。

 国家や歴史、宗教、民族、死生観などが複雑に重なり合っているはずの「靖国問題」を、首相参拝はあるかないか、是か非かという問題に「デジタル化」したのは小泉首相だが、「易々(やすやす)と」(昭和天皇の側近メモ)そうさせたのは「私」たちだ。それは、総選挙が「郵政民営化イエスかノーか」一色で塗りつぶされた昨年夏の光景と重なる。「改革か抵抗か」「官か民か」「行くか行かないか」。すべてを単純化する小泉政治は、靖国問題さえのみ込んでしまった。

 「外交に配慮すべきだ」「外国の言いなりになるのか」といういがみ合いは、どちらも参拝の賛否という図式にからめ捕られている点で、似たりよったりではないだろうか。靖国問題とはまず「私」たち自身の問題であるはずだ。戦後60年を日本と「私」たちはいかに生き、何をなおざりにしてきたのか。東西冷戦が終わり、改憲や海外派兵が現実となりつつある今、靖国問題は「私」たちに「国家と死」という長く鋭利な問いを突きつけている。

 連載企画「靖国~『戦後』からどこへ」(8月6~19日の計12回と28日の番外編)は、そうした問題意識から、靖国神社とそれにまつわる戦後史を改めて正面から掘り下げた。最高意思決定機関である崇敬者総代会の内情をリアルに報じたのは、恐らくこれが初めてだろう。湯沢貞・前宮司が「まるでその場にいたかのようだ」と驚いたと聞いて、新聞冥利に尽きる。

 A級戦犯合祀(ごうし)のこれまで表に出たことのない新事実もいくつか突き止めた。一つを再録したい。合祀を決行した松平永芳・元宮司は、7年後の85年1月18日夜、東京・神田錦町の学士会館で、こう語っていた。

 「生涯で意義あることをしたと私が自負できるのは、A級戦犯合祀である。現行憲法の否定はわれわれの願うところだが、その前に極東軍事裁判の根源をたたいてしまおうという意図のもとに、A級戦犯14柱を新たに祭神とした」

 気心知れた同志30人足らずの席で本音が出たのだろう、重大な告白だ。国の祭神名票に従い「淡々と祭祀事務を行った」と説明していたのに、実は個人の歴史観を世に宣伝するために合祀したというのだから。歴史博物館「遊就館」の再開も、根はつながっている。

 A級戦犯合祀は、宮司自ら宗教を政治に利用した行為だった。しかも、当時すでに神社界の大御所が合祀の理非をただし、靖国と神社界も「わだかまり」を持っていたのに、その後、首相公式参拝という政治運動にのめりこみ、天皇参拝の長い空白にも慣れ、ついには神社本庁教学委員でさえ「何をしたかったのか分からない」と首をかしげる小泉参拝に便乗した。南部利昭・現宮司は「天皇に請われて就任した」と言っているが、私たちが取材した限り、そのような事実はない。天皇発言のメモ報道を政治利用と言うのなら、靖国自身の行状はどうだろうか。

 外にいくら強がっても、靖国が戦後、内に抱えてきた矛盾は隠しようもない。自ら変わらない限り、早晩もたないだろう。だが、靖国だけを責めるのはフェアでない。「靖国的矛盾」とは、戦後日本が自らの戦争責任追及という問いを封印してきたツケでもあるからだ。「戦没者のお陰で繁栄した」というのは情緒的な俗論だ。あの理不尽な多くの死にもかかわらず敗戦後の繁栄があった。だが、繁栄の陰で置き去りにしてきた大事な自問と、「私」たちは今、向き合っている。(政治部)

毎日新聞 2006年8月30日 


 

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