76年3月、時限爆弾が爆発し、死者2人、重軽傷者95人を出した「北海道庁爆破事件」で死刑が確定した大森勝久死刑囚(57)の再審請求審で、札幌地裁(半田靖史裁判長)は19日、請求を棄却した。半田裁判長は、えん罪を主張した弁護側の新証拠について「確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じるとは到底認められない」と判断した。弁護側は即時抗告する方針。
02年7月に始まった再審請求審で最大の争点となったのは、爆薬の材料に使われた除草剤の主成分(塩素酸ナトリウム)が大森死刑囚の居室内の物品から検出されたとの北海道警犯罪科学研究所が行った鑑定の信ぴょう性だった。
弁護側の請求により同地裁は、鑑定に当たった同研究所の男性職員(現在は退職)を04年9月に証人尋問。弁護側は鑑定方法の証言が1、2審と異なることや、北海道大助教授に依頼して行った鑑定の再現実験を根拠に「鑑定は不自然で科学的にありえない」とし、「ねつ造」と主張した。
これに対し、札幌地検は(1)再現実験は職員の証言内容と異なり、検証とはいえない(2)職員は再審請求審で初めて具体的に証言しただけで過去との矛盾はない--などと反論。「鑑定自体、揺るがないし、他の証拠もあるので有罪の立証は尽くされている」と請求棄却を求めていた。
半田裁判長は、検察側の主張に沿って鑑定に証拠能力があると認定。弁護側が提出した再現実験ビデオなどは有力な新証拠として採用しなかった。
大森死刑囚は、捜査段階で黙秘し、公判では一貫して「起訴はでっち上げ」と全面否認した。83年に1審の札幌地裁は死刑判決を言い渡し、札幌高裁、最高裁がそれぞれ控訴、上告を棄却し、94年9月、死刑が確定した。
確定判決では、大森死刑囚と事件を直接結びつける有力な物証がない中で▽爆薬主成分が検出されたとの鑑定▽爆弾の一部材料と工具の所持▽現場周辺での目撃証言▽動機と遂行能力--などの間接証拠や状況証拠を積み重ね、有罪と認定した。【真野森作】
■ことば(北海道庁爆破事件) 76年3月2日午前9時ごろ、札幌市中央区の道庁本庁舎1階エレベーターホールで時限式消火器爆弾が爆発し、道職員2人が死亡、95人が重軽傷を負った。直後に同市内の地下鉄大通駅のコインロッカーから「東アジア反日武装戦線」を名乗る犯行声明文が見つかり、左翼活動家だった大森死刑囚が同年9月に殺人容疑などで逮捕、起訴された。
大森死刑囚は公判当初から否認したが、札幌地裁で死刑判決(83年3月)、札幌高裁の控訴棄却(88年1月)を経て、最高裁が94年7月、上告を棄却し、同9月に死刑が確定した。判決では大森被告が仲間と共謀して実行したとされるが、もう1人が誰かは判明していない。
毎日新聞 2007年3月19日 10時23分 (最終更新時間 3月19日 11時12分)