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助け求める姿、忘れられず 東京大空襲で出動の元消防士

作者:佚名 文章来源:nikkei.com 点击数 更新时间:2015/3/10 15:13:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

幼子を抱いた若い母親が一瞬で炎にのみ込まれた――。東京大空襲で消防士として下町の火災現場に出動した加瀬勇さん(89)=千葉県習志野市=は、救えなかった人々の姿が今もまぶたに焼き付いているという。


1944年、出征で足りなくなった消防士を補充するため採用年齢を引き下げた「年少消防官」として、当時の警視庁消防部に18歳で入庁した。城東区(現在の江東区の東側)を管轄する城東消防署に配属になった。


45年3月10日未明、ポンプ車を置いていた鉄道の車両工場から同僚4、5人と出動した。勤務していた砂町出張所を目指したが、周囲はあっという間に火の海に。見上げると、爆撃機B29が夜空を埋めていた。火の勢いが強すぎて消火活動ができず「どこへ行こうとしても、車より速く火が走っていった」。


「助けられなかった人たちのことは何年たっても頭から離れない」。救助を求めてきた20人ほどが目の前で風にあおられた炎に包まれた。ポンプ車は燃えさかる民家に誤って突入し、後退したところで停止した。ふと気付くと、乗員は自分と運転手の2人だけになっていた。炎の中を100メートルほど走り、素掘りの防空壕(ごう)に頭から突っ込んで夜明けを待った。


当時のポンプ車は消防士用の車内スペースがなく、車両外側の金属の棒につかまっていた。炎と熱で全身に大やけどを負い、右手は後遺症で今も指が動かせない。


60年まで城東消防署に勤務した後、退職。今年3月5日、55年ぶりにかつての職場を訪れ、若い署員や消防団員ら約100人を前に講演した。「空襲は人が人を殺す犯罪で二度とあってはならない。風化させず伝えていかなければならない」〔共同〕


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