打印本文 关闭窗口 |
||
五木寛之さん「永さんや巨泉さんが反戦を語った理由は」 |
||
| 作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2016/8/19 19:28:11 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 | ||
|
|
||
永六輔さん、大橋巨泉さんの思い出を語る作家の五木寛之さん=岩下毅撮影 ■連載「笑いにのせて」2 作家・五木寛之さん 永六輔さん、大橋巨泉さん、そして昨年亡くなった野坂昭如さんと、戦後のサブカルチャーの旗手たちが、ここへきて一斉に退場されたという感じがありますね。みな早大に入って中退する訳ですが、出会ったのは私的にではなく、それぞれテレビやラジオの仕事に関わっていた20代の頃です。お互いライバル意識もあり、つるむことはありませんでしたが、一目置いている同志でもありました。 連載「笑いにのせて」 1950年代から60年代にかけて、日本でもカウンターカルチャーとしてのマスメディアが一つの流れとして成立してくる時代。その中で大きな位置を占めていたのが、作詞・作曲家で放送作家でもあった三木鶏郎(とりろう)さん率いる「冗談工房」でした。 永さんはそこでアシスタント格、野坂さんはマネジャーをやっていました。僕も三木さんの「音楽工房」「テレビ工房」に関わるようになります。当時は作詞もやれば番組の構成もやる、評論も書けば匿名の批評もやるし、歌も歌ってステージもやる。60年代半ばまで、みんなそういう雑業の世界にもやもやっと固まっていて、そこには、まじめなことを常にジョークで言うという精神があった。 大橋さんは学生時代からジャズ…
|
||
打印本文 关闭窗口 |