打印本文 关闭窗口 |
||
「八月や…」最初の読みびとは 資料でたぐる不戦の思い |
||
| 作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2016/11/6 11:10:25 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 | ||
|
|
||
戦争に絡む日付を詠んだ俳句のルーツを調べた小林良作さん=千葉市 八月や六日九日十五日――。広島、長崎への原爆投下、そして敗戦。忘れがたいこれらの日付が並んだ俳句を、多くの人が詠んできた。千葉市の元法務省職員、小林良作さん(72)もその1人。資料をたぐり、各所に足を運んで「最初の詠みびと」を追いかけた。 小林さんは2014年、冒頭を「八月の」として、所属する俳句結社に投稿した。空襲で家と父の事業を失い、8月になると苦労を重ねた両親の姿を思い起こした。すると「似た句がある」との知らせ。故・永六輔さんが著書やラジオで紹介したという。投稿は取り消したが、「自分と思いを同じくした人がいた」との感慨が心に残った。 図書館やネットで調べると、少なくとも6人が「八月や」「八月の」などと詠んでおり、大分県宇佐市には「八月や」の句碑があった。その句の作者は広島県尾道市の医師・諫見(いさみ)勝則さん。小林さんの投句の直前に88歳で亡くなっていた。 宇佐市は第2次大戦中に海軍航…
|
||
打印本文 关闭窗口 |