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守備で楽しませる選手 井上雄彦さんが迫る |
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| 作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2017/2/25 13:00:43 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 | ||
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(C)I.T.Planning,Inc. 漫画「スラムダンク」の作者・井上雄彦さん(50)とバスケット選手の対談企画の第10回は、中国生まれの日本代表、張本天傑選手です。 特集:B.LEAGUE 主役に迫る 井上 中国で生まれたと聞きました。 張本 遼寧省の瀋陽です。中国でも北の方にあって、冬場は気温がマイナス30度まで下がります。オヤジが元バスケ選手、お母さんは元バレーボールの選手。バスケを始めたのは小学2年のときで、半ば強制的に。毎朝、原付きバイクで走るオヤジの後をドリブルしながら追いかけていました。中国では学校での部活動がないので、オヤジのマンツーマン指導。いまでもオヤジとはバスケ以外の会話はほとんどしませんね。大学に進んでからも、試合で調子が悪いと正座させられ、2時間説教を受けたこともありました。 井上 来日はいつ? 張本 小学6年に上がるタイミングです。先に岐阜県で中華料理屋を開いていた両親の元へ、祖母の家から移りました。直前の冬休みに1カ月、日本へ遊びに来たんです。街はきれいだし、食べ物はおいしいし。何より、一人っ子の自分にとって親と一緒にいられることが一番でした。中国に戻ってからは、毎日泣きながら「日本へ行きたい」と電話し続けて、かないました。中学校に上がるタイミングで愛知県のみよし市に引っ越しました。 井上 高校時代の練習はかなり厳しかったそうですね。 張本 地獄でした。練習前から体がガタガタ震えたのを覚えています。とにかく走りました。一番きついメニューは、陸上部と一緒に山道を計4・5キロ走るメニューです。終わると、だいたい吐いていました。高校入学時には体重が95キロくらいあったんですけど、80キロくらいまで落ちてしまった。みんなが朝に自主練習をしている脇で、僕だけはコーチの目の前で弁当を食べるのが日課でした。そんな生活が1年近く続きました。 大学を出てから、高校時代のコーチと食事をしたときに「俺は無知で走ることしかできなかった。申し訳ない」と謝られました。でも、あれだけの練習をしたからいまの走力があると思っています。
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