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中之島、新しいステージへ ビジネス街、見守る花屋社長 |
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| 作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2017/4/20 9:37:53 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 | ||
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大好きなバラを抱える「サトウ花店」の佐藤勉社長=大阪市北区、小林一茂撮影 JR大阪駅の南側に広がる大阪市北区中之島は戦後、関西を代表するビジネス街になった。その変化を見つめてきた花屋がある。 フェスティバルシティOPEN 17日の朝、サトウ花店(はなみせ)社長の佐藤勉さん(73)は、先週の売上伝票を確認していた。中之島ダイビルに構える本店からは、この日開業した「中之島フェスティバルタワー・ウエスト」に入居する店舗にも、多くのお祝いの花を配達した。 「中之島も新しいビルが出来て、ようなってくれたらええですなぁ」 人事異動が多い年度替わりはかき入れ時だが、とくに今年の3月には、活気が戻ってきたことを感じた。1鉢5万円するコチョウランが数日で50鉢も売れた。1鉢あたりの単価もあがっている。 サトウ花店が中之島で創業したのは1928(昭和3)年。佐藤さんはその3代目の社長だ。 創業者の父、巍(たかし)さんはバラやランに魅せられ、「西日本初の洋花専門店」を掲げた。だが、最初は販路開拓に苦労の連続だった。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が、新大阪ホテル(現在のリーガロイヤルホテルの前身)に一時的に拠点を置くと、将校らの注文を受けようと、巍さんは和英辞典を手に営業に回ったという。 佐藤さんが店に立つようになったのは69年ごろ。高度経済成長に乗り、新しいオフィスビルの建設が相次ぎ、オフィスへの花の配達が増えた。フェスティバルホールでのコンサートなどで飾る、花の注文も多かった。 だが90年代、バブル景気が崩…
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