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永六輔さんの公式サイト開設 ネットの誤情報見かね

作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2017/6/14 15:58:49 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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東京・銀座を歩く永六輔さん。1961年撮影(ホームページから、育之介さん提供)


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昨年7月に83歳で亡くなった永六輔さんの公式ホームページを、孫で俳優の育之介(いくのすけ)さん(23)らが手作りで製作。一周忌を前に今月3日、公開した。出演したテレビやラジオ番組、作詞した楽曲の一覧のほか、草創期のテレビ界でいきいきと活躍する姿を映した写真なども掲載。永さん関連のイベントや番組のお知らせも随時載せていくという。


これまで正式な情報をまとめたサイトがなく、インターネット上に誤った情報が記載されているケースが散見されたため、次女の麻理さん(55)が昨年10月に提案。デザインや文章の細かなニュアンスまで永さんらしくしたいと、製作は外注せず育之介さんが担当した。


「活動・著作」のページでは、出演したり脚本を担当したりした番組や、作詞した楽曲、出版物をまとめた。永さんの多岐にわたる活動ぶりがわかる。「写真ギャラリー」には、2002年に亡くなった妻昌子さんが整理していたアルバムから、育之介さんと麻理さんが選んだショットを掲載。永さん作詞の「こんにちは赤ちゃん」(1963年)が日本レコード大賞を受賞したころの、細身のスーツに身を包んで銀座の街角にたたずむ様子や、脚本を担当していたテレビ番組「夢で会いましょう」のリハーサル中に、出演者の黒柳徹子さんらの前でおどける姿などを見ることができる。


ホームページの背景は「祖父らしく渋く、かっこよく」(育之介さん)と、永さんが生前に好んで着ていた藍染めの作務衣をあしらった。今後も写真を追加していくほか、遺品の写真の公開も検討しているという。「祖父はインターネットを毛嫌いしていたので、生前は作れなかった。自分のサイトができたと聞いたら『わけのわからないものを作って』と言うと思う」と育之介さん。「若い人にも年配の方にも、冊子を読むように楽しんでもらえれば」と話す。






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