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漱石「俳句を見てほしい」子規宛ての実物書簡見つかる

作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2017/11/21 8:23:27 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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漱石が子規に宛てた1895年の書簡=東京都千代田区の二松学舎大学


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1894年に漱石が子規に宛てた書簡。「先日来尋常中学英語教授法方案取調べの為め随分多忙に有之候處本日漸く結了大に閑暇に相成候 春雨や寐(ね)ながら横に梅を見る」と記されている。自分の日常を俳句で表現する試みを始め、子規に見せるようになった時期を示す書簡という=東京都千代田区の二松学舎大学


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漱石が帝国大学生だった1891年7月18日付の子規宛ての書簡。「昨日眼医者へいつた所が、いつか君に話した可愛らしい女の子を見たね、――杏返しに竹なはをかけて」とある。漱石が、興味を持った女性について語ったものだ=東京都千代田区の二松学舎大学


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正岡子規


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夏目漱石


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漱石アンドロイド


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漱石の書簡を前に説明する二松学舎大の山口直孝教授=16日、東京都千代田区の二松学舎大学


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中島国彦・早稲田大名誉教授


夏目漱石が俳人の正岡子規に宛てた直筆の書簡3通を、漱石が前身の漢学塾で学んだ二松学舎大学(東京)が入手した。文面は「漱石全集」に収録されているが、実物は専門家の間でも長年確認されていなかった。漱石が子規から俳句を学んだ契機とされる内容などがつづられている。


2人は第一高等中学校(現東大教養学部)の同級で、今年で生誕150年。漱石は1895(明治28)年4月に愛媛県尋常中学校(現松山東高校)の英語教師として松山に赴任した。


同年5月26日付の書簡は神戸で療養中の子規に宛てたもの。「小子近頃俳門に入らんと存候御閑暇の節は御高示を仰ぎ度候」。「本格的に俳句をやりたいので見てほしい」との内容だ。


子規は同年8月、神戸から故郷の松山に戻って漱石の下宿「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」に居候する。52日間の同居の中で漱石は子規から俳句の指導を受けた。漱石研究で知られる早稲田大学の中島国彦・名誉教授(日本近代文学)は「この手紙がなければ、2人の同居はなかったかもしれない。非常に重要な資料だ」と話す。


漱石が松山に行く前年の1894(明治27)年3月12日付(実物は10月と誤記)の書簡には、「先日来尋常中学英語教授法方案取調べの為め随分多忙に有之候處本日漸(ようや)く結了大に閑暇に相成候 春雨や寐(ね)ながら横に梅を見る」と記されている。自分の日常を俳句で表現する試みを始め、子規に見せるようになった時期を示す書簡という。


帝国大学生だった1891(明…













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