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大阪人、2千年前からタコ好き? 弥生中期の遺跡に痕跡 |
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| 作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2017/12/14 11:09:47 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 | ||
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池上曽根遺跡で出土した弥生時代中ごろとみられるタコ壺=大阪府立弥生文化博物館 たこ焼きは大阪名物だが、大阪人のタコ好きは2千年前からにさかのぼるらしい。 この秋、大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で開かれていた「海に生きた人びと 漁撈(ぎょろう)・塩づくり・交流の考古学」(朝日新聞社など後援、12月3日で終了)は、全国から海に関する考古資料を集めた特別展だったが、私がとくに面白いと思ったのは、地元・大阪湾のタコ壺(つぼ)漁の歴史をたどることができたことだ。 博物館の隣にある弥生時代中期の集落遺跡、池上曽根(いけがみそね)遺跡(国史跡)では、2千年以上前の弥生中期の遺構から高さ約10センチのコップ形の土器が大量に出土した。日本最古級のタコ壺だ。小さな壺はイイダコ用、高さ20センチ以上の壺はマダコ用。タコ壺漁は大阪湾で始まり、瀬戸内海や北部九州にも広がったとみられる。 初期のタコ壺には、口縁部の近くに引き揚げるためのひもを結ぶ穴がある。弥生末期になると、底の方に取っ手状のひも穴をつけた、釣鐘(つりがね)形のタコ壺が登場。タコは光があたると逃げてしまうため、口を海底に向けたまま引き揚げられるメリットもあった。その後、大阪湾ではこの釣鐘型が主流になっていく。 和泉、高石、泉大津三市にまた…
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