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語り部やめれば楽に、でも…亡き娘がくれた「命の宿題」

作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2018/1/18 14:11:50 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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小学校3年生のころの浅井亜希子さん(浅井鈴子さん提供)


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阪神・淡路大震災で小学校5年の長女(当時11)を亡くした浅井鈴子さん(64)=神戸市須磨区=は、語り部として50回以上にわたって人前に立ってきた。発生から何年経っても、娘の死は受け入れられない。語るたびに感情が高ぶり、冷静でいられなくなる。それでも活動を続ける。生きたくても生きられなかった命があったことを、若い世代に伝えるために。


特集:阪神大震災


浅井さんは17日、自宅で娘の亜希子さんの冥福を祈った。この日は兵庫県内の中学校で体験を語る予定だったが、数日前から体調を崩し、寝込んでいた。


23年前の早朝、神戸市灘区の自宅1階で、娘の亜希子さんと布団を並べて寝ていた。最初はジェットコースターに乗って「ポン」と体が浮き上がる感じだったという。揺れたと思った瞬間、気を失った。


痛いという感覚で意識を回復した時、辺りは真っ暗だった。「お母さん」。亜希子さんの声が聞こえた。姿は見えない。2人とも家の下敷きになっていた。「お母さん、痛い、苦しい」「お父さんたちがもうすぐ来てくれるからね。我慢してね」。声を掛け合って助けを待った。


捜索は困難を極め、近所の人らに救出されたのは約8時間後だった。亜希子さんの足は紫色になっていた。長時間、建物に圧迫されていたためだ。


手術室に入る前、亜希子さんは浅井さんに抱きついた。「お母さん、泣いたらあかんで。私、大丈夫やから」


それが最後の会話になった。震…






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