打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口

エアリアル田原、37歳初出場 予選落ちでも人生かけた

作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2018/2/18 13:18:52 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

写真・図版


男子エアリアルの田原直哉の演技=ロイター


写真・図版


(17日、平昌五輪フリースタイルスキー男子エアリアル予選)


人生をかけた37歳の挑戦は、19位で幕を閉じた。17日夜の予選で落選。初出場の田原直哉(ミルキーウェイ)は、「もうちょっと良いところを見せたかった」と表情を曇らせた。


【競技結果】平昌五輪 男子エアリアル


披露した技は、伸身後方3回宙返り4回ひねり。上位12人による決勝進出を狙ったが、1本目は17位にとどまった。2本目は踏み切りでミス。着地で背中を雪面に打ちつけた。


夢に見た五輪の舞台だった。8歳で始めた体操で、20歳の時にナショナルチーム入り。だが、2004年アテネ五輪の代表を逃した後から、人生は思わぬ方向に進んでいく。右肩を故障し、06年に引退。失意の中で出会ったのがエアリアルだった。スキー経験はほぼゼロにもかかわらず、「体操選手としての感覚が生きるかも」と、かなわなかった五輪の夢を雪上に見た。


ただ、簡単にできると思った回転やひねりは「板とブーツで重心が変わるから、体操とは全く違った。なめていた」。10年バンクーバー五輪も、14年ソチ五輪も出場できなかった。


冬のマイナー競技を取り巻く環境は極めて厳しい。遠征費や用具代のために、大学の卒業記念で買った宝物のオメガの腕時計も売り払った。生活費を切り詰め、家は友人所有の物件に無料で間借り。「貯金もありません。五輪に出たからといっても、それだけで今後どうやって食っていくのか。正直怖い」と漏らしたこともある。夢を追う代償は決して小さくなかった。


それでも、あきらめなかった。「スポーツに人生をかけてきた。だから、やりきったってものが一つ欲しくて。五輪を目標に生きてきて、ゴールはちゃんと五輪でした。胸を張って、そう言いたいんです」


ようやくたどりついた五輪は悔しさだけが募った。「やっぱり勝たないと。力が足りなかった」。41歳で迎える4年後への思いがないわけではない。ただ、重ねた苦労を思うと軽口はたたけない。「環境だったりいろんなことがあるから、『次』とはすぐには言えない」


スポーツに捧げた30年を振り返って、「あきらめずに本気でやり続けたら、何か形にはなるんだと思う」と言った。(吉永岳央)






打印本文 打印本文 关闭窗口 关闭窗口