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甲子園決勝での屈辱、プロへの原点 西武・土肥コーチ

作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数33 更新时间:2018/4/9 20:22:37 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

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開幕戦に勝利し、他のコーチと握手する埼玉西武の土肥コーチ=3月30日、札幌ドーム、豊間根功智撮影


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昨夏、花咲徳栄が県勢初の優勝を果たした全国高校野球選手権大会。25年前、深紅の大優勝旗まで迫ったのが春日部共栄(埼玉)だ。当時の2年生エース、土肥義弘さん(41)は現在、プロ野球埼玉西武ライオンズの投手コーチ。あの夏のマウンド、その後の野球人生、高校野球への思いをきいた。


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リアルにプロ野球選手になりたい――。夢から明確な目標へ。あの日敗れたマウンドが原点となった。


1993年8月23日、第75回大会の決勝・春日部共栄対育英(兵庫)戦。


2対2で迎えた八回裏、育英1死一、三塁。3ボール、1ストライクからの5球目。セーフティースクイズの打球が勢いよく目の前に転がってきた。マウンドから駆け下りた。フィールディングには自信があった。本塁は完全にアウトのタイミング。走者は三塁にとどまる。そう思った。


ここで一瞬、間が生まれた。「ゲッツー(併殺)をとろう」。体を少し二塁に向ける間に走者が突っ込んできた。あわてて本塁に送球したが、体勢が崩れた。構える捕手のミットに収まることなく、バックネット方向へ転がっていった。


「悔しいの一言しかない」。ただ大舞台で投げ抜き、大きな自信を得た。


「性格も頭も良く、言われなくても自分からやる子だった」と、本多利治監督(60)。投球メカニズムやトレーニングの本を自ら探し回り、読みあさった。冬場は全体練習後の3~4時間、シャドーピッチングを真っ暗になるまで繰り返し、フォームを固めた。球種は切れのある直球とカーブの2つだけ。それでも緩急を使い、内を突くマウンド度胸を武器に、甲子園では自身初の140キロもマーク。3連投も含む5試合を一人で投げ抜いた。


最後の夏は埼玉大会決勝で浦和学院に敗退。社会人野球に進み、3年後に念願のプロ野球選手になった。


託されたのは中継ぎ。「生き残るために、いかに左打者をおさえて仕事をもらうか」。フォームを変え、横方向にゆさぶる投球術を磨いた。年間50試合前後に登板し、2002年のリーグ優勝にも貢献した。


「中継ぎのまま野球人生を終わりたくない」。スタミナ重視で細身の肉体に改造し、先発機会を求めて横浜に移籍。翌年10勝し「巨人キラー」と呼ばれた。


再び西武に戻り、左ひじのけがの具合も良くなり、「自分の可能性を確かめたい」と渡米を決めた。大リーグの舞台に立つことはかなわず、独立リーグでプレー後、36歳で引退した。


米国の2年間で、日米で違う故障や疲労に対する考え方、けがしないように投げる技術の上げ方、ハングリー精神に触れた。野球に関係なく将来を見据え、語学学校で英語も勉強した。


帰国後は解説者を2年。野球のすべてを勉強し直した。野球雑誌で投球動作解析の連載も担った。「理論を持って、自分の言いたいことを言葉で表現する勉強もできた」と感謝する。母校の臨時コーチも兼ね、左腕エース擁する後輩たちを14年夏の甲子園に導いた。気づくと、たくさんの引き出しができ、自然な流れで古巣のコーチに就いた。


エース菊池雄星投手(26)が昨季途中、審判団から当時反則とされた「二段モーション」を指摘され、苦しんだ。同じ左腕として寄り添い、フォームを作り上げてきた。動作一つを変えれば解決するほど簡単ではない。「投手は精密機械。フォームは命。雄星の場合、基礎から色々と作り上げてきて今がある」


「やるべきことをやっていこう」と話し合い、技術面と精神面の同時進行で試行錯誤を重ねた。右足を上げて前に踏み出す際、後ろに蹴る動作をいかせないか。軸足のためを作らずに投げるにはどうすればいいのか。一つ一つ探った。


菊池投手は壁を克服して昨季17勝をあげ、自身初の最多勝と最優秀防御率を獲得。チームを4季ぶりの2位に押し上げ、球界屈指のエースに成長を遂げた。


10年ぶりの日本一、そして常勝軍団復活へ。背番号72が頼もしく投手陣をマウンドへ送り出す。(加藤真太郎)


土肥さん「垣根なく指導できる環境を」


投手の球速は150キロ台が高校級になり、技術レベルはすごく上がった。一方で、体の成長が追いつかず、けがのリスクが高まっている。指導者にはけがをしない投げ方を教える質の高さが必要で、プロがアマに伝える機会を増やしてほしい。垣根なく指導できる環境が広がれば、子どもたちのためになる。(談)



どい・よしひろ 川口市出身。2年夏の埼玉大会4回戦の花咲徳栄戦では無安打無得点を記録した。プリンスホテルからドラフト4位で1998年西武入団。2004年途中にトレードで横浜に移籍。09~10年は再び西武でプレー。日本通算13年で335試合登板、31勝45敗1セーブ7ホールド、防御率4.30。15年から埼玉西武で投手コーチ。





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