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大津から京都へ 琵琶湖疎水船、男たちは復活にかけた |
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| 作者:佚名 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2018/4/28 12:32:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 | ||
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長い第1トンネルの出口に近づくと、新緑の世界が出迎えてくれた=4月9日、大津市 時紀行 琵琶湖の水を京都に流す琵琶湖疏水(そすい)に今年3月、定期観光船が就航した。疏水はかつて人や貨物が行き来した舟運の道だったが、1951年を最後に途絶えていた。魅力いっぱいの船の旅を満喫しつつ、67年ぶりの復活に携わった人たちに思いをはせた。 連載「時紀行」バックナンバー 【動画】(時紀行:時の余話)「琵琶湖の水、止めたろか」 水面から見上げると、満開の時を駆け抜けた桜が名残の花と新緑の葉を携えていた。 天台寺門宗総本山の三井寺がある大津市・長等山のふもと。すぐ近くの琵琶湖から注ぐ水路に全長7・5メートルの小さな船が浮かぶ。水路は128年前に京都まで通じた琵琶湖疏水(そすい)。今年から、春と秋の観光船の定期運航が始まった。 出航するとすぐ、光が消えた。約2・4キロの第1トンネル。かなたの出口の光が点のようだ。 闇の中、ガイドの小林美恵さん(25)が説明する疏水の由来が染み込んでくる。疏水は、都が東京に移り衰退した京都の復興を目指して築かれた。工事はほぼ人力が頼りで、作業者は夜に土木技術を学び、昼はトンネルを掘った。水は産業振興や水力発電に活用され、水路を物資や人が往来した。 ザーという音が聞こえてきた。トンネルの掘削は両側だけでなく、上からも竪坑(たてこう)を掘る国内初の方式を採用。そこから落ちてくる湧き水が船の屋根をたたく。 出口が近づくと少しずつ光がさ…
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