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統合予定の函館西、「最後の夏」敗退 66年前に甲子園 |
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| 作者:宋潤敏 文章来源:asahi.com 点击数 更新时间:2018/6/23 19:39:08 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 | ||
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開会式で入場行進する函館西の選手=2018年6月23日午前9時4分、北海道函館市の函館オーシャンスタジアム、宋潤敏撮影 (23日、高校野球・南北海道大会 七飯6―0函館西) 過去最多700試合をライブ中継 バーチャル高校野球で全試合中継の大会も 夏の甲子園、歴代最高の試合は? 投票ベストゲーム 南・北北海道大会の地区大会が開幕した北海道。函館地区では、1952年に春夏連続で甲子園に出場した函館西(函館市)が開幕戦に登場した。別の高校との統合を来春に控えており、「最後の夏」に臨んだが、惜しくも敗退した。 野球部は50年の共学化に伴って誕生。グラウンドや野球用具もなく、ゼロからのスタートだった。函館は当時、全国有数の社会人クラブチーム「函館太洋(オーシャン)倶楽部(くらぶ)」が活躍するなど野球人気が高かったほか、多くの強豪中学校が地元で競い合っていた。 函館西には後にプロに進んだ橋本力さん(毎日オリオンズ)ら素質のある選手もおり、52年には選抜大会に出場、その年の夏も甲子園の土を踏み、創部3年目で8強入りを果たした。甲子園出場時、2年生の控え投手だった山田日出夫さん(82)=札幌市在住=は「当時は入部希望者が100人ぐらいいた」と振り返る。 ただ、その後は甲子園から遠ざかった。2000年代に入ると部員集めに苦労し、他部の助っ人なしでは試合がままならない時もあった。来春の統合が決まっており、現在の函館西で出るのは、今夏が最後だ。山田さんは試合前、「甲子園出場歴がある高校の誇りを持って、精いっぱいやってほしい」とエールを送っていた。 部員15人で臨んだ夏だったが、1回戦負けとなった。伊藤涼真主将(3年)は「結果を残したかったが悔しいの一言。最高のチームで野球ができたのが一番の思い出です」と話した。(宋潤敏)
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