「ウエスト・サイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」などで知られる米映画界の巨匠ロバート・ワイズ監督が14日(日本時間15日)、心不全のためロサンゼルスの病院で死去した。91歳。映画史に残る60年代のミュージカル2作で、アカデミー賞の作品賞、監督賞に輝いた。
ワイズ監督は急病でカリフォルニア大のメディカルセンターに運ばれ、そのまま帰らぬ人となった。長年にわたり家族同然の付き合いをしてきたエージェントのローレンス・ミリッシュ氏によると、今月10日に91歳の誕生日を祝った際には元気だったという。
AP電などによると、最近まで、アカデミー賞を主宰する映画芸術アカデミーと全米監督協会の会長を務めていた。その映画人生は、大学を中退し、兄デビッドの働いていた縁で入った映画会社RKOでの編集マンからスタートした。
名作「市民ケーン」(41年)の編集に携わり、44年「キャット・ピープルの呪い」で監督デビュー。49年「罠」で、カンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞し注目された。そして、61年「ウエスト・サイド物語」、65年「サウンド・オブ・ミュージック」で計15個のオスカーを獲得し、名声を不動のものとした。
かねて「常に違ったジャンルの企画を選びたい。そのために自分のできるベストの素材を探している」と語っており、さまざまなジャンルに挑戦。SF「地球の静止する日」(51年)、人間ドラマ「私は死にたくない」(58年)、西部劇「悪人への貢物」(56年)など多様な作品を生み出した。
また、ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマーら俳優からの信頼も厚かった。「監督の仕事の大部分は、適材適所のキャストを配置すること」という持論を貫き、多くの作品を成功に導いた。長年の功績を認められ、66年のアカデミー賞でアーヴィン・G・サルバーグ賞(名誉賞)、88年に監督協会の最高名誉とされるD・W・グリフィス賞を受賞している。
スポーツニッポン 2005年9月16日