漫才コンビ「Wけんじ」の宮城けんじ(みやぎ・けんじ=本名寺島文雄、てらしま・ふみお)さんが19日午前3時24分、肺がんのため東京都江東区の城東社会保険病院で死去した。81歳。昨年11月にがんが見つかって以降、入退院を繰り返していた。多くの弟子たちとともに最期をみとった夫人の敏子さん(58)は「よくきょうまで頑張ってくれました。お父さん、ありがとう」と涙で声を詰まらせた。
東京漫才の代表的存在だった宮城さんが静かに、眠るように息を引き取った。敏子さんは遺体に抱きつき号泣。そして、安らかな笑顔を見つめ「漫才をやっていた時の顔。お父さん、ありがとう」と話し掛けた。
宮城さんは昨年11月12日、ベッドから起き上がる際に足がもつれたため、都内の病院に検査入院。2日後の14日には、病院を抜け出して一門会に出演したが、精密検査の結果、がんが見つかった。既に手の施しようのない状態で、家族には告知されたものの、本人には知らせなかった。
その後は自宅静養と入院を繰り返し、今年7月から長期入院となっていた。18日早朝、病院から敏子夫人に危篤の連絡が入り、駆けつけた時には人工呼吸器が取り付けられた状態。弟子のWモアモア、青木チャンスら一門も続々と集まり、最期は長男の賢一さん、二男の文彦さんも含め20人ほどがみとった。
「覚悟はできていました…。本当に一生懸命頑張ってくれました。いい人生だったと思います」と敏子さんは沈痛な面持ち。宮城さんは、99年に相方の東けんじさんが亡くなったころ「おれの最期は寂しいものなんだろうな」とこぼしていたそうだが、自宅前には約30人の取材陣が集まり、敏子さんも「本人に見せてあげたい。天国ですぐに漫才ができるよう、舞台衣装を着せてあげます」と気丈な笑顔を見せた。
宮城さんは5歳から子役として活躍し、大都映画の専属俳優、春日八郎さんの座付き司会者などを経て、61年に東けんじさんとWけんじを結成。ツッコミ役で、63年にNHK漫才コンクールで1位に。「やんな!」「ばかだなぁ」などの流行語を生み出した。99年に東さんが亡くなってからは、漫談や司会などで活動を続けてきた。