子どものころ、北九州市の空は灰色だった。4大工業地帯だから当たり前だと思っていた。若戸大橋の下に横たわる洞海湾は、てらてらと油の色に光っていた。
北九州市はいま、汚名を返上して「環境都市」に生まれ変わっている。鉄冷えのせいだけではなく、青い空を取り戻したいという母親たちの努力があったことを、記録映画「青空がほしい」(65年)で初めて知った。
旧戸畑市(北九州市戸畑区)の婦人会が手作りしたこの8ミリ映画は、ばい煙被害に悩む庶民の暮らしを克明に描いている。洗濯物を干せば、洗う前より汚れてしまうような環境で、子どもの健康が守れるはずがない。それを実証するため、白い布を屋外に干し、工場に近い場所ほど汚れることを明らかにした。大気汚染と児童の欠席率に相関があることも示した。
私の命は両親だけでなく、たくさんの母親たちによって守られていたのだった。
この映画は今も、環境問題を考える勉強会で上映されている。命を守りたいという素朴な問題意識は、時代や国境を超えた説得力を持っている。
週末の昼下がり、地下鉄に乗っていたら、前に座っていた少年が、あ、と声を上げて床をのぞきこんだ。どこから迷い込んだか、コガネムシがもぞもぞと動いている。
少年は虫を踏まないよう足を浮かせ、目を輝かせて見守っている。右隣の母親がやがて気づき、左隣のお年寄りが気づいて相好を崩した。
虫の命を思いやる小さな命。居合わせた乗客に笑顔の波が広がった。(科学環境部)
毎日新聞 2006年7月26日 0時10分