「過労死をなくすことが夫の遺志だと思います」。04年夏に過労死でファミリーレストラン店長だった中島富雄さん(当時48歳)を亡くした妻の晴香さん(50)=横浜市都筑区=は、夫の三回忌を迎える今年、過労死被災者の支援などをするための基金設立に向け準備を進めている。ようやく景気が戻ったと言われるが、平成不況時のリストラによる人手不足で「過重労働」が深刻化する中、1人の遺族が立ち上がった。
富雄さんは「すかいらーく」(本部・東京都武蔵野市)に25年間勤務し、02年から支援担当の店長として働いた。人手が足りない店に応援に入り、調理や管理をする仕事で、神奈川県内と静岡県の一部をカバーしていた。
管理職の店長職になると残業代が消える一方、残業自体は増えていった。富雄さんの業務記録によると、残業は月平均で約130時間。年末年始などの繁忙期には180時間に達する時もあった。午前3時に帰宅し、休憩して同6時半には家を出る……。「このままでは会社に殺されるなあ」。晴香さんにこぼしたことがある。「他の社員のために不払い残業代を取る」と仕事を辞める決心をし、全国一般東京東部労働組合に相談した直後の04年8月、脳梗塞(こうそく)で倒れ、帰らぬ人となった。
晴香さんは富雄さんの遺志を継ぎ、同労組に加入。約700万円の不払い賃金を支払わせて労災申請した。富雄さんが詳細な業務記録を残していたため、過労死と認定された。
さらに晴香さんらは会社に対し、損害賠償と職場の過労死対策を取るよう交渉を続け、今月26日、要求通り実施することで会社と合意した。同労組の石川源嗣副委員長は「『管理職』とされながら残業代も時間規制もない無権利な状態に置かれていた。(一定の条件下で労働時間の規制を外す)新たな労働時間制が導入されれば過労死を多発させるのは火を見るよりも明らかだ」と指摘する。
晴香さんはこの賠償金を元に、過労死被災者の裁判支援や相談に乗る基金をつくるつもりだ。富雄さんが生前、「龍」という言葉を好んで使っていたことから、基金は「過労死をなくそう! 龍基金」と名付ける。
晴香さんは「肉親が過労死被害に遭えば、会社を恨み、自分を責め、つらい思いをする。企業は競争ばかりに目がいき、働く者を『人』とみる気持ちを忘れている。そこが変わらなければ過労死はなくならない」と話している。
すかいらーくの広報担当者は「遺族に対し残業時間や公休取得の状況を年1回報告する。改善すべきところは改善し、二度と過労死が起きないように努めたい」と話している。【東海林智、佐藤賢二郎】
毎日新聞 2006年7月28日