「戦後最大の疑獄」と呼ばれるロッキード事件で、受託収賄罪に問われた田中角栄元首相=1、2審実刑、上告中死亡=の榎本敏夫元秘書官=外為法違反で有罪確定=が、東京地検特捜部の調べに、ロ社側から受領した5億円について「74年の参院選候補者26人に2000万円ずつ渡した」などと供述していたことが分かった。調書とともに一覧表にまとめられたが、公判では証拠として申請されなかった。田中元首相らの逮捕から27日で30年を迎える節目に新事実が判明した。
関係者によると、この調書は、76年7月27日の逮捕から8月9日の起訴までに作成された。榎本元秘書官は公判で一貫して5億円受領を否認したが、捜査段階では逮捕翌日に認め、公判で11通の調書が証拠採用された。今回判明した供述調書はこれとは別で、実際は計16通あったという。
元秘書官は「田中邸に運んだ後の5億円の処理は知らないが、参院選で私がお届けしただけでかなりの金額になる。5億円もこれらの中にミックスされ消えてしまったのではないか」と供述。参院選候補者への配布一覧表を作成して「私の記憶が不確かな部分はあえて記載しませんでした」と念押ししたという。
一覧表は(1)氏名(2)授受時期(3)金額(4)授受場所(5)備考--の順に記され、当時の全国区10人、地方区16人の候補者名が書かれていたという。授受の時期は73年11月~74年3月で、金額はほぼ一律2000万円。授受場所は田中元首相の事務所があった砂防会館が多く、議員会館や個人事務所もあったとされる。
26人には田中派だけでなく他派閥や無派閥も含まれ、国会で「嘱託尋問は違法」と述べた閣僚経験者(故人)や、否認に転じた榎本元秘書官の5億円授受時の「アリバイ」を法廷で証言した閣僚経験者もいた。しかし、後に「参院のドン」と呼ばれた1人を除き、党や政権の中枢を担った候補者はいなかった。榎本元秘書官は「選挙に弱い候補に配った。自派議員は砂防会館で元首相が渡し、他派閥には自分が届け、相手の秘書を介することは絶対になかった」と供述したという。
採用された調書で榎本元秘書官は「元首相の参院選勝利にかける意気込みは悲壮で、5億円は元首相が当時の党総務局長と相談して参院選に使われたと思う」と供述していたが、具体的な使途は不明だった。
◇検察、混乱避け証拠申請せず=解説
田中角栄元首相が受領した5億円の配布先として、榎本敏夫元秘書官が一覧表まで作成していた事実は、元秘書官が捜査段階で受領を自白し、公判で採用された供述調書の任意性を補強する“証拠”でもある。検察側がこれらを証拠申請しなかったのは、公判の混乱を避ける法廷戦術のためで、供述調書自体の信用性は高いと言える。
5億円はいったん田中邸の金庫に入る。これを参院選資金と証拠上断定するのは困難で、密室で受け取った候補者に受領を認めさせるのも極めて難しい。仮に公判に提出すれば、配布先が全面否定することは容易に予想され「5億円授受の有無」という本来の争点とは別に、新たな火種を公判に持ち込むことになる。一覧表が長らく秘された理由と言えるだろう。【松下英志】
■ことば(ロッキード事件) 76年2月に米議会で発覚。全日空へのロ社のトライスター機導入について丸紅が田中角栄元首相に請託し、73年8月~74年3月、4回にわたり計5億円を渡した「丸紅ルート」▽全日空側が橋本登美三郎元運輸相に500万円、佐藤孝行元運輸政務次官に200万円を渡し、大型ジェット機の導入時期を延期するよう請託した「全日空ルート」などで計16人が起訴された。5人が公判中に死亡し、残りは全員の有罪が確定している。
毎日新聞 2006年7月27日