欽ちゃんの「好きだけど、やめることにした」がわからなかった。「その気持ち、痛いほどわかりますよ」と大勢の人が支持していたのは、さらに不可解だった。
「たかが、選手が」と言い放った球界のドンと同じじゃないか、とさえ思った。ファンや地域に支えられて存在しているチームを、勝手に解散宣言するなんて、それは私物化である。
もっと、わからなかったのが「年も年だ」と語った福田康夫さんだ。「身の処し方に一陣の涼風を感じた」と評価する新聞もあるが、そんな格好いいものなのか。
「男は一度勝負する」と言って、実際は何度も総裁選に出た故・三木武夫氏を思い出す。
83年12月の総選挙。徳島支局で、18回目の当選を目指す三木氏を取材した。かつての「王国」は新興勢力の故・後藤田正晴氏に切り崩され、「三木さんはきれいごとばかりで郷土に何もしてくれなかった」との批判が聞こえ始めていた。
ある日の深夜、選挙事務所で三木氏は側近を集め、30分近く熱弁を振るった。椅子に座った三木氏を囲んで直立する側近らが、窓越しに見えた。記事になる重大な話だ、と胸が躍った。
出てきた県議の一人は「いつもの話だよ」と苦笑した。「金権政治はいかん」という耳にタコができそうな自説を展開しただけだったのだ。拍子抜けしながらも、老政治家の一念を垣間見た気がした。
この時、三木氏は76歳。思うに70歳の福田さんに足りなかったのは、若さなどではなく、どうしても譲れない信念や、抑えきれない情熱だったのではないか。(経済部)
毎日新聞 2006年7月28日