「ご苦労」は昔の殿さまが家来をねぎらう言葉だったから、目上の人に「ご苦労さま」というのは失礼だといわれる。だが日本語研究者の飯間浩明さんが江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎を調べても、そんな言い方をする殿さまはいなかった。むしろ逆の例が目についた▲たとえば「仮名手本忠臣蔵」では、顔世(かおよ)御前が夫の上役の高師直(こうのもろなお)に対して「御苦労ながら」と言っている。家老の加古川本蔵が早朝に登城する主君を「御苦労千万」と気遣う場面もあった(「遊ぶ日本語 不思議な日本語」岩波アクティブ新書)▲なのに「目上に『ご苦労』は失礼」という感覚は今ではかなり浸透している。文化庁の世論調査では、職場で上司をねぎらう言葉は「お疲れさまでした」が69%に対し「ご苦労さまでした」は15%だった。とくに30代、20代で「ご苦労さま」派が少ない▲この国語世論調査では意味の重複する言葉を連ねる「重言」についても調査している。その結果、「あとで後悔した」「一番最後にされた」「従来から」といった重言が「気にならない」という人が「気になる」という人を上回る結果が出た▲ただこの手の重言は今に始まったというわけでもない。先日小欄で紹介した石川英輔さんの「大江戸番付事情」には江戸の重言を並べた番付もあったが、そこには「あとで後悔」が西の大関として登場する。先の飯間さんの本でも浄瑠璃「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」で政岡が「あとで後悔なさるるな」と語る場面が紹介されている▲封建時代より敏感に上下の人間関係に反応する言葉もあれば、江戸の昔から言葉遊びの材料になりながら今も使われる重言もある。一口に日本語の乱れといっても、言葉の富は時に勘違いや言い間違いから生み出されるからややこしい。
毎日新聞 2006年7月28日