地球温暖化、日本の亜熱帯化が言われて、東京にクマゼミの声が鳴り響くのも遠くないように思える。ミンミンゼミをセミの最大音量と考えている東京の人々が、夏の朝のクマゼミの大合唱を耳にした時にはきっと驚くだろう▲それでも九州、四国、中国、関西、東海そして南関東出身の東京住民は、クマゼミの合唱にも平然と眠っているだろう。北関東、北信越、東北、北海道の出身の人々には、クマゼミは警告もなく眠りを打ち破る狼藉(ろうぜき)者のように感じるだろう▲季節をめでる文学、絵画、音楽。四季は日本の文化に不可欠ではあるけれども、実はその四季の感覚は地域によってさまざまだ。芭蕉の「閑(しずか)さや 岩にしみいる 蝉(せみ)の声」でさえ、アブラゼミかニイニイゼミかの論争があった。さすがにクマゼミ説はなかったが。虫の音、草花の色、季節の感覚と記憶は地域それぞれにちがう▲その地域の季節の記憶が、気候の変化による生態系の変化で、また変わっていく。夏にはそこにワレモコウがと母が指さすその先に、もうワレモコウはないかもしれない。代わりに見知らぬ亜熱帯の花が咲いている、そんな時代が来るのかもしれない▲北の学校ではもう新学期が始まっている。梅雨明けが遅すぎて、子どもたちは十分に夏を楽しめなかったかもしれない。しかし、残暑だけはたっぷりあった。父母の故郷で、日常の生活の場とはちがった夏を見つけたら、記憶しておいてほしい。人生の宝とは、案外にそんなものだから▲9月になれば自民党の総裁選挙。立候補表明した候補者たちは一斉に、地方の再生を言い始めた。選挙の季節だけのセミの声でなければよいが。日差しは時にまだ厳しいが、風はすでに秋。夏に伴走した百日紅(さるすべり)だけがまだ赤い。
毎日新聞 2006年8月31日