戦後61年。被爆者の平均年齢は73.9歳に達し、被爆体験をどう継承するかが課題となっている。時間があまり残されていない中、広島、長崎では貴重な証言や記録を残す取り組みが進む。6日は広島原爆の日。被爆体験を伝える取り組みの現状を探った。【宇城昇、長澤潤一郎】
広島市立伴東小学校の6年生約70人は4日、平和記念公園を訪れ、今春の卒業生が平和学習の成果として作詞作曲した歌を合唱した。被爆60年の昨年から、総合学習の時間を活用して平和学習を始め、原爆犠牲者の碑巡りや被爆証言を聞く場を持った。6日は平和を考える全校集会がある。
学校教育の現場が、被爆体験の継承に果たす役割は大きい。広島市教育センターの調査では「原爆について誰から聞いたか」の質問に「被爆者や被爆体験証言者」と市内の小・中学生の8割弱が回答。被爆者に体験を聞く授業などを積極的に実施した効果とみられる。同市教委は8月6日を平和登校日とするよう各学校に働きかけ、今年は半数近くが実施する。
家族ら身近な人から被爆体験を聞く機会が減り、証言者への依頼は増加傾向にある。原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターによると、証言活動を担う市内17団体の証言回数は05年度で2837件。この5年で約1000件増えた。資料館が委嘱する証言者は04年に22人だったが、現在29人に増やして対応している。
谷川晃・同館副館長は「証言に生きがいを感じている方が大半だが、(高齢化で)かなり無理もしていただいている。被爆2世の協力を得ることなども検討すべき時期に来ている」と話す。
◇書き残し重点に
6月に結成50年を迎えた長崎原爆被災者協議会(被災協、谷口稜曄(すみてる)会長)は、記念事業で「原爆被害の実相を語り、書き残す」ことに重点を置く。約1万5000人の会員を中心に「今こそ遺言のつもりで書き残そう」と呼びかけている。被爆という原体験だけでなく、61年後の「今の思い」を後世に伝えるのが狙いだ。原爆投下の一瞬だけではなく、後遺障害で苦しみ、家族らを亡くす悲しみに耐えた61年間の生き様も被爆の実相に他ならない。
被災協は91、95、01年にも被爆体験記や被爆者の自分史などをまとめて出版してきた。改めて証言を集める背景の一つが被爆者数の減少だ。被爆者の公的な証しとなる被爆者健康手帳の所持者は、05年度は長崎県内で6万8118人。ピークの78年度の11万716人から約4割減っている。被災協も結成時の呼びかけ人12人のうち、今も健在なのは2人だけだ。
身をもって核の惨禍を体験した被爆者が体験を直接伝える機会は確実に減っていく。「被爆70年」に何ができるか分からない危機感を背に「今こそ被害をより正確に伝えたい」という思いが取り組みを後押ししている。
事務局長の山田拓民(ひろたみ)さん(75)は「最後の力を振り絞って若い人に正しいことを伝えたい」と話している。【長澤潤一郎】
◇問われる創意
▽浅井基文・広島市立大広島平和研究所長の話 体験の記録を一字一句受け継ぐことは不可能。継承する側の創意と工夫も問われている。想像力を高めるには、原爆投下だけでなく、世界各地の放射線被害など今日的な問題としての「ヒバク」に向き合い、演劇などさまざまな表現手法も駆使して継承と発信に努めてほしい。
毎日新聞 2006年8月6日