「後悔に1分たりとも時間を費やすな」は米大統領だったトルーマンの言葉だ。実際、戦後何百回もたずねられた「原爆投下」について少しも後悔の念を見せなかった。難しい決断だったかと聞かれ「とんでもない、こんな調子で決めた」と指をパチンと鳴らした▲だがロナルド・タカキ著「アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか」(草思社)によると、妻や妹への手紙、内輪の会話、日記では、女性や子供の被害へのおののきや後悔を示している。科学者らが自責の念を示すと、ひどく感情的に反発した▲その公と私の顔の落差は「王は悪をなし得ず」という英国のことわざを思わせる。大統領、そして国家の「過ち」はあってはならないことだったのだ。だが、戦争にどんな責任もない子供らが暮らす都会が突然何千度もの火球で焼き払われることなど、さらにあっていいはずがない▲その日から61年後の原爆忌は、訪米した広島・長崎の被爆者が会見で米大統領の謝罪を求めたというワシントンからの外電や、原爆症の認定申請を却下された被爆者による集団訴訟での原告勝訴というニュースの中で迎えた。ともに被爆者からの「過ちなき国家」への異議申し立てである▲このうち原爆症認定をめぐる広島地裁判決は、5月の大阪地裁判決に続き、救済対象の拡大を明確に国に求める形となった。従来の認定基準の正当性を主張し続けてきた国だが、世の中には改めるのが遅すぎては取り返しのつかない過ちもある▲思えば原爆は「過ちなき国家」同士が歯止めのない闘争を繰り広げる文明が生んだ兵器だった。国家が過ちを犯しやすい人間の営みの一つであり、その間違いがどんな地獄絵図を地上にもたらすか。広島・長崎の市民はその証人だ。
毎日新聞 2006年8月6日