拉致被害者の救済を最優先するあまりのアイデアなのだろうか。菅義偉総務相が、北朝鮮の拉致問題をNHKの短波ラジオ国際放送で重点的に取り上げるよう命じる検討をしていることを明らかにした。しかし、NHKに対し、個別の国策を放送内容に具体的に盛り込めという命令がまかり通れば、報道への国の介入や干渉を許すことになってしまう。
放送法は、放送による表現の自由を確保するため、番組が誰からも干渉されることはないと宣言している。ただし、NHKの国際放送については例外として、総務相が放送事項を指定して命じることができると定め、その費用は国が負担すると明記している。政府の見解を外国に正しく紹介したり、在外邦人に災害情報などを伝えたりするため、NHKに交付金を出し、それに見合う放送をするよう命令するという仕組みだ。
これを受け、総務省は毎年春、命令書をNHKに交付してきた。しかし、放送事項の命令内容は常に「時事」「国の重要な政策」などと抽象的な表現にとどめ、個々の政策について命じた前例はなかった。具体的な放送内容はNHKの自主性に委ねてきたからだ。
ところが、安倍政権発足後、拉致問題は最重要課題だとして各省庁が新たな施策の立案に知恵を絞る中で、浮上したのが命令放送だ。拉致問題解決に国を挙げて取り組むのは当然のことだ。だが、無理押ししてはならないこともある。報道の自由は民主主義を支える基盤であり、報道分野に国がかかわることには極めて慎重であるべきだ。個別の国策に関しての命令に踏み出そうとする総務省の姿勢には危惧(きぐ)せざるを得ない。
そもそも、命令放送のあり方そのものに疑問が生じてくる。NHKが自ら行う放送と命令放送とを一体として流すというのが命令の趣旨だ。NHKが命令部分も含めて一緒に編集することで放送効果が最も発揮されると総務省は説明する。結局、番組のどこまでが自主放送で、どこからが命令放送かの線引きができないのだ。費用も国民の受信料と国の交付金が混在し、使途の区分けは不明確だ。このため、各番組に対する責任の所在もあいまいになってしまう。
この際、自主放送と命令放送をきっちりと区別することを提案したい。例えば、命令の部分は「命令放送」などとはっきり銘打って流したり、「政府広報番組」として委託された形で放送したりすることも考えられる。それは現行の放送法の枠内でも可能なはずだ。
菅総務相の発言は、国民にあまり知られていなかった国際放送について問題提起するきっかけになった。総務省は来年度から、NHKのテレビ国際放送にも交付金を投入しようとしている。放送への国の関与が強まることのないように、命令放送の運用のあり方を十分に論議する必要がある。その際には、「まるで国営放送」と国民からあらぬ誤解を招かぬよう、当事者のNHKがしっかりと自らの見解を示さなければならないことは言うまでもない。
毎日新聞 2006年10月22日