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日本的“战后派”文学(日汉对照)

作者:来源  来源:沪江   更新:2015-6-4 10:15:40  点击:  切换到繁體中文

 

終戦を機に新しい価値観の時代が到来し、実力のある書き手たちが、一気に頭角を現した。彼らは「戦後派」と呼ばれ、戦前まで主流だった自然主義的な私小説とは異なる社会小説の潮流をつくりあげていった。


以战败为契机,日本迎来一个持有全新价值观的时代,才华横溢的作家们一举展露头角,他们被称为“战后派”,开启了一种迥异战前主流——“自然主义”私小说的社会小说潮流。


戦争体験を作品に昇華させた戦争文学


戦争文学とは、明治以来の「天皇制」国家体制の絶頂期ともいうべき15年戦争期(アジア・太平洋戦争)を取りあげた作品をさす。担い手は野間宏、武田泰淳、大岡昇平、堀田善衞ら、戦前文学と断絶した異質の新進作家たちで、「戦後派」と呼ばれた。


升华战争体验为作品的战争文学


所谓战争文学,即指以15年战争时期(亚洲、太平洋战争)为题材的作品,可以说,明治以来的“天皇制”国家体制在这段时期达到了顶点。中心人物是野间宏、武田泰淳、大冈昇平、堀田善卫等人,他们是一群与战前文学泾渭分明的新进作家,被称作“战后派”。


いずれも30歳代で、青年期に左翼運動の挫折、転向を経験、さらに戦争下を兵士としてくぐりぬけ、戦場、俘虜、植民地、焼け跡、闇市など共通の原体験がある。「戦後派」作家は、既成秩序や価値観や倫理が崩壊したなかで、人間や社会の本質を表現しようとする文学的使命感を持っていた。


“战后派”大多三十岁年龄,青年时期亲历过左翼运动的挫折、转向期,甚至在战时作为士兵历经艰险,战场、俘虏、殖民地以及焦土、黑市等等,都是他们曾经共同的体验。在这既成秩序与价值观、伦理道德土崩瓦解的背景下,“战后派”作家抱持着一种试图表现出人类与社会本质的文学使命感。


注:闇市(やみいち),战后日本社会的代表性现象,由于物资缺乏、市场混乱,国家无力正常供应生活用品,各地都出现黑市进行私自的违法交易。


(战后派作家们,从左开始为:山本健吉、福田恆存、伊藤整、高見順、遠藤周作、荒正人、江藤淳、石原慎太郎、野間宏、石川達三、堀田善衞、大岡昇平、中村光夫,昭和32年摄 )


昭和27年(1952)は、講和条約が発効し、占領時代が終焉した年である。だが血のメーデー事件が勃発、共産党の火焔びん闘争が続発するなど緊迫した情勢の年でもあった。にもかかわらず臼井吉見が年末回顧で、〈戦後派の作家の実質的な働きが目立っている〉(昭和27年12月28日付朝日新聞)と述べるような秀れた作品が発表された。戦後7年を経過しての収穫は、力量ある作家といえども、戦争や軍隊の体験を思想化することの困難さ、文学作品にまで昇華させるにはその歳月が必要だったことを証すものだろう。


昭和27年(1952),这既是日美媾和条约(一般称《旧金山和约》)生效,(美国)占领时代落幕的一年,然而也是形势紧迫的一年,“血色劳动节”事件勃发、共产党不断进行燃烧弹斗争。尽管如此,仍有优秀作品问世,如臼井吉见在年末回顾中所述,“战后派作家的实际行动正赢得世人瞩目”(昭和27年12月28日的朝日新闻)。自战后以来已经七载,这些成果证明:即使是才华横溢的作家,要将在战争与军队的体验转化为思想也绝非易事,为让体验升华为文学作品,那七载春秋不可或缺。


極限に置かれた人間を描く


野間宏の『真空地帯』は、戦争期の旧日本軍(陸軍内務班)を舞台に、軍隊の反人間的性格、非人間性に押しつぶされていく下級兵士たちの苦悩と悲哀を、作者の分身と思われるインテリ兵曾田一等兵を通して精緻に描いた。作者初の本格的長編小説で、発売と同時にベストセラーとなり、山本薩夫監督、木村功主演で映画化もされた。


描写被置于极限状态中的人类


野间宏的《真空地带》以战时旧日本军(陆军内务班)为背景,通过相当于作者分身的文人士兵曾田一等兵,精细地描写遭受军队的反人类性格、非人性压迫的下级士兵们的苦恼与悲哀。这是作者首部正式的长篇小说,一问世便大受热捧,还拍摄成了电影,由山本萨夫导演、木村功主演。


人間性という空気の一切を奪い去ってしまう軍隊。「人工的な抽象的な社会」を意味する表題はここに由来した。軍隊に真空地帯を見た作者が、その延長に日本の現実を二重化していることは疑いない。軍隊が国の政治と文化の縮図なら、軍隊を通して、日本の現実を告発することが可能だとする意図が明らかである。


军队尽除“人性”空气中的一切物质,小说标题正由此而来,意指“人工、抽象的社会”。无疑,作者在军队里见到了一种“真空地带”,他将真空地带的扩延与日本的现实重叠,如果军队是国家政治与文化的缩影,那么也就可能通过军队来揭发日本的现实,作者的这种意图显而易见。


大岡昇平は、『俘虜記』『野火』を完結し、昭和27年、創元社から刊行した。『野火』は戦争文学の一極点として第3回読売文学賞を受賞。敗色濃いレイテ島戦線で、肺病を患い、食糧不足のために部隊と病院を追い出された田村一等兵が、孤独と絶望をいだいて山野を彷徨、米軍の捕虜となるまでの記録である。飢餓の極限へ追い込められ、カニバリズム(人肉食)の誘惑に直面する。人間は本能に従って堕ちてゆくことしかできないのか。神、狂気、罪の問題を追求した異色作である。


大冈昇平完成了《俘虏记》、《野火》,昭和27年由创元社刊行。作为战争文学的一个顶点,《野火》获得了“第3届读卖文学奖”。在败相昭然的莱特岛战线上,因患肺病、口粮缺乏,田村一等兵遭到部队与医院的驱逐,他怀着孤独与绝望彷徨于山郊荒野,直到为美军俘虏,小说就是对这段经历的记录。被逼至饥饿的极限,面临啖食人肉的诱惑,难道人类只能屈从于本能堕落、沉沦下去吗?这是一部追问神灵、癫狂、以及罪业问题的出色之作。


堀田善衞は、昭和20年、志願して上海へ行き、そこで敗戦を迎えた。昭和22年に帰国。この体験が作者を芸術至上主義青年から、政治的・社会的作家に変貌させた。『広場の孤独』(昭和26年)で芥川賞を受賞。続いて中国に材を採った『歯車』(昭和26年)、『歴史』(昭和27年)、『時間』(昭和28年)を発表。『歴史』は上海暴動を舞台に日本の知識人の眼を通して歴史の胎動を把えた政治小説。『時間』は日本軍の南京虐殺事件を中国人インテリゲンチャの手記という構成で描く問題作。文学者の良心の所在を証した。


昭和20年,堀田善卫志愿赴沪,就在这里,他迎来日本的战败,于昭和22年归国。这段经历使作者从一个艺术至上主义的青年蜕变为政治、社会性的作家。《广场的孤独》昭和26年获芥川奖。接下来他又发表了取材于中国的《齿车》(昭和26年)、《历史》(昭和27年)、《时间》(昭和28年)。《历史》是部以上海暴动为背景,透过日本知识分子的双眼来把握历史胎动的政治小说。《时间》以中国文人的记录为构成,描写日本军队所制造的南京大屠杀,是部争议作品,也是作家心存一份良心的佐证。


この年昭和27年は、戦記物、ルポルタージュ文学が流行した。吉田満の『戦艦大和の最期』(昭和20年秋脱稿)は、文語体をもってつづられ、叙事詩のごとき格調に貫かれ、古典としての資格をもつと評された。昭和20年4月6日16時、世界最大の超大戦艦「大和」は「天号作戦」という特攻作戦に出撃するため、沖縄をめざす征途につく。学徒出身の作者も乗り込む。7日14時23分、九州最南端をはなれることわずかにして、延べ1000機の敵機に攻撃され、2時間で轟沈。3332人の乗組員のうち救助された者わずか269人。九死に一生を得て生還した作者はそのいっさいを記述した。


昭和27年这一年,战记、报告文学盛行一时。吉田满的《战舰大和号的末日》(昭和20年秋完稿)采用文言体创作,全文贯穿着宛如叙事诗一般的风格,被评为具有跻身古典之列的资格。昭和20年4月6日16时,世界上最大的超级战舰“大和”号,为进行代号“天号作战”的特别攻击作战,踏上赶赴冲绳的征途。学徒出身的作者也乘坐其中。7日14时23分,在航离九州最南端后不久,“大和”号遭到共1000架敌机的袭击,2小时后炸沉。3332人的乘组人员中被救起的仅有269人。九死一生活下来的作者将其所有经历记录了下来。


(编辑:何佩琦)


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