林芙美子が贈った俳句=5日、佐藤慈子撮影
林芙美子や谷崎潤一郎ら日本近代文学者の未公開の書簡やはがきなど18点が京都市内で見つかった。親交のあった中国の文学者・周作人(しゅうさくじん、魯迅の弟)の弟子・方紀生(ほうきせい、1908~83)に宛てたもので、戦時中の日中の文化交流を示す貴重な資料とみられる。
方は、日中戦争さなかの40年、中華民国の駐日留学生の監督として来日し、東京帝国大学で文学部講師も務めた。この時期、林や谷崎らと親交を結んだ。44年には彼らを含む日本人作家18人の寄稿を編集し「周作人先生のこと」を刊行した。
書簡などは、方の死後、京都市中京区在住の長女で、立命館大の中国語講師だった川辺比奈さん(74)が保管していた。昨年、川辺さんが父親について中国文芸研究会の雑誌「野草」に発表することになり、保管資料を久保卓哉・福山大名誉教授(中国文学)が調査したところ、未公開の資料が見つかった。林、谷崎、堀口大学、永井荷風、武者小路実篤、佐藤春夫、志賀直哉、藤島武二の書簡やはがき、書、絵画などだ。
「硯(すずり)冷えて 銭もなき 秋の日暮哉(かな) 北平尓(に)て 昭和十一年十月五日 林芙美子」と手帳のページ1枚に書かれた俳句もあった。方が北京で林に書いてもらい大切にしていたという。
谷崎が揮毫(きごう)した和歌「吾妹子可 箸尓つら連る 素麺乃 瀧の志ら以登 夏八来尓介利(わぎもこが 箸につられる 素麺〈そうめん〉の 瀧の白糸 夏はきにけり)」は、谷崎研究者の千葉俊二・早稲田大教授によると、新全集収録の39年作の「三輪そうめんの歌二首」中の一首と細部が異なるという。
終戦後、方は国家反逆の疑いをかけられ入獄。文化大革命中には日本人の妻と共に獄中生活を送り、その後、名誉が回復された。
近代の日中文化交流に詳しい劉建輝(りゅうけんき)・国際日本文化研究センター副所長は「方紀生は周作人に最も信頼された人物で、日本の作品も翻訳した。戦時下でも続いた日中の文化交流の深さを体現した一人だと思う。今、こうした人たちが再評価されることはますます重要になっている」と話す。(伊佐恭子)
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〈周作人(1885~1967)〉 中国の作家、翻訳家。魯迅の実弟。明治末期の日本に留学、帰国後は北京大学で教職に就き、人道主義による思想革命や新文学の建設を提唱、中国新文化運動を推進した。戦後は日本との関係を批判され、文化大革命中に病死。近年、日本の文豪からの手紙など約1500点の資料が中国に存在することがわかり、人物像をめぐる研究が進んでいる。