(悩みのるつぼ)相談者 20代女性
20代女性です。10代の頃に出会った彼。何につけても合理的で目標には一切妥協せず、脇目も振らず努力します。口は悪いけれどまっすぐ私を思ってくれていることが分かります。
そんな彼の愛読書はフロムの「愛するということ」。愛とは決意の行為、すなわち自ら行為してその中に踏み込むものであり、その術として瞑想(めいそう)や座禅が有用であると考えています。仕事がどんなに忙しくても、修行として禅に励んでいます。
私も彼に求められ、5年間、真剣に取り組みましたが、愛とのつながりが分からず、やめたいと思うようになりました。
彼は私に激怒し、真剣にやらなかったからだ、無心で続ければお前にも分かる、禅とはそういうものだと言います。
愛には努力が必要であることには、私も心から賛同します。しかし私はもう座禅はやりたくない。その先で愛につながる悟りがあると思えません。
彼が禅の先に愛があるというなら、ぜひ向かってほしい。それに限らず、彼の夢はなんでも応援したいと思っています。
しかし彼は座禅をどうかやめてくれるな、互いに一生後悔すると言います。私は自分の気持ちを無視して、今まで以上にやみくもに座禅をするべきなのでしょうか。私の今の気持ちは、愛ではないのでしょうか。いっそ別れて、禅の達人を連れてきた方が彼のためでしょうか。
回答者 評論家・岡田斗司夫
あなたは10代から5年もの間、効果も出ない座禅を続けた。彼に言わせれば「効果が出ないのは本気でやってないから」。しかしあなたは「5年続けて効果が得られないものはムダだ」と思うようになりました。
この差がなぜ生じるのかと言え…