日曜に想う
二枚目俳優であるとともに、文は人なりを思わせる文章家でもあった。加藤剛さんの訃報(ふほう)を聞いて、8年前に頂戴(ちょうだい)した手紙を取り出して眺めた。
当時私は天声人語を担当していて、ある日、加藤さんの随筆の一節を拝借してコラムを仕立てた。掲載紙をお送りしたことへの、律義な返礼の手紙である。
話題は子どもへの虐待だった。
男の子が相次いで命を奪われた。奈良の子は5歳なのに体重は6キロしかなかった。埼玉の4歳は、水を飲ませてと哀願する声を近所の人が聞いていた。胸のつぶれそうなコラムの中に、ともしびのように挿(さ)しはさんだのが、加藤さんが幼いわが子を肩車する随筆の場面だった。
肩に乗って父親の額をしっかり押さえる小さな両手を、加藤さんは「若木の枝で編んだ桂冠(けいかん)」とたとえていた。その栄誉の桂冠を頭に戴(いただ)いて、加藤さんは「凱旋(がいせん)将軍のごとく」誇らしげに歩むのである。ごく短い描写ながら、子への情愛が文章からにじみ出してくる。
子にとってみれば、人から愛され大切にされた記憶が、愛するという資質を耕すのだろうと感じたものだ。虐待をしてしまう親は、自分もまた受けた愛情が薄かったという話を往々耳にする。
手紙をいただいて以来、痛ましい虐待のニュースに接するたびに、ふと加藤さんの肩車が思い出された。悲しいことに今年もまた、それは繰り返された。
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