西日本の豪雨災害で、8月6日に向けた原爆犠牲者の慰霊行事も、規模縮小や中止を余儀なくされている。
広島市安芸区の中野第二公園にある原爆死没者追悼碑の前で、23日、住民15人が黙禱(もくとう)した。公園には土砂や使えなくなった家財道具がびっしり積まれ、重機が作業を続けている。区内で計17人が亡くなり、3人が行方不明のままだ。
追悼式は原爆で亡くなった住民172人を悼み、1994年から毎年この時期に開いてきた。例年約100人が参加するが、今年は最寄りのJR山陽線は不通、道路事情も悪く、来られない人が多い。実行委員で被爆2世の山野井恵子さん(67)は「生活が不自由な時に開いていいか迷ったが、途切れさせてはいけないと思った」と話す。
広島県江田島市の原爆被害者の会は、断水が続き、避難生活を送る住民もいるとして、市内で28日に予定していた慰霊祭を中止した。上松利枝副会長(83)は、父が広島市内で被爆し一命を取り留めたものの、翌月の枕崎台風で犠牲になったことを思い返す。「自然の猛威と背中合わせの人間がなんでわざわざ戦争をして殺し合わんといけんのか。そのことを子どもたちが知ってくれにゃあ。来年は開催したい」。28日は会の数人で花を捧げに行く。
同県坂町小屋浦のJR呉線沿いに立つ「坂町原爆慰霊碑」は、すぐ裏の山肌が崩れ、碑文の一部を残して倒木や土砂に埋まった。
爆心地から10キロあまり離れた同地区には、当時多くの負傷者が運ばれ、住民たちが救護にあたった。碑は死者90余名がその地に埋葬されていると伝える。
何度も碑を訪れている元高校教諭の多賀俊介さん(68)は「一日も早く元の状態に戻ってほしい」と話した。(松崎敏朗、宮崎園子)