元日本銀行総裁で、旧大蔵事務次官、旧太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)頭取などを歴任した松下康雄(まつした・やすお)さんが20日死去した。92歳だった。
神戸生まれ。旧制第一高等学校、東大法学部を卒業後、1950年旧大蔵省(現・財務省)に入り、主計局長などを経て82年から2年間、大蔵事務次官を務めた。87年太陽神戸銀行頭取となり、三井銀行との合併をまとめて太陽神戸三井銀行初代会長に就いた。
94年、三重野康氏の後を継いで第27代日銀総裁になり、低金利政策でバブル崩壊後の景気立て直しに乗り出した。山一証券や北海道拓殖銀行の破綻(はたん)などに遭遇し、金融システム不安の沈静化に追われた。日銀法改正への道筋もつけ、その後の日銀の政府からの独立性や政策決定過程の透明性の向上につながった。
しかし98年3月、金融機関による接待汚職事件で日銀幹部が逮捕された責任をとり、任期途中で辞任。金融界の混乱のなか、金融政策での強い独自色は打ち出せなかった。
葬儀は近親者のみで行った。財務省によると、お別れの会を開く予定はないという。弔電は同省大臣官房秘書課総務係(東京都千代田区霞が関3の1の1、電話03・3581・4111、内線5306)で受け付ける。