熊本県錦町から相良村にかけての丘陵地帯に人吉海軍航空隊基地跡がある。地下には洞窟や壕(ごう)が張り巡らされ、作戦室などに使われた。一部を見学できる「人吉海軍航空基地資料館」(錦町)が1日、開館した。戦争の歴史の一端を伝える施設だが、町がつけた資料館の愛称には批判も出ている。
基地は、太平洋戦争の後半に戦闘機のパイロットや整備兵、特攻隊の訓練などに使われた。面積は約1万平方メートル。米軍の空襲を避けるため、地下に総延長約3900メートルの洞窟や壕が張り巡らされ、魚雷調整場や弾薬庫、兵舎、作戦室など50を超す地下施設があった。これらの一部はガイド付きで見学できる。
1943年11月に建設が始まり、2度の空襲を受けて1年9カ月後に終戦を迎えた。そうした歴史を、資料館内部では写真やパネルなどで紹介している。
45年6月に日本の戦闘機「零戦」が米軍機に襲撃され、基地付近に墜落した時の多数の破片の展示が目を引く。墜落直後に現場に行った女性が木々に滴る鮮血や体の一部などを目の当たりにした話が添えられている。
41年12月に旧海軍が拿捕(だほ)した米軍の砲艦から星条旗をはずし、大切に取っておいた熊本県人吉市の元1等水兵が、戦後20年たってから福岡市の米領事館に返還して感謝された話も紹介されている。
「山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム」。資料館に錦町がつけた愛称について、市民団体「人吉球磨の戦争遺跡を伝えるネットワーク」(約50人)などが「戦争が楽しいものだという誤解を与えかねない」と批判している。
昨年1月には町が県外の観光関…