映画やドラマで幅広い役を演じた俳優の津川雅彦さんが4日、心不全で死去した。78歳だった。妻で俳優の朝丘雪路さんが今年4月に亡くなったばかりだった。
「僕より先に死んでくれたことも含めて、感謝だらけです」。5月20日、朝丘さんの死去が明らかになり都内で報道陣の取材に応じた津川さんは妻への思いを語った。
1973年に結婚。津川さんの事業の失敗などをきっかけに一時別居していたが、朝丘さんの認知症が明らかになり、15年ごろから再び同居していた。介護生活を振り返り、「周りがよくやってくれましたよ。僕が先に死んで、彼女を残すよりはいい結果になりましたよね」と話していた。
自身も肺炎を患い、酸素吸入用のチューブを鼻に通して取材に応じた。公の場に姿を現したのは、この時が最後になった。
亡くなったことが報じられると、ともに作品をつくってきた映画人が悼んだ。
津川さんは1940年生まれ。父親は俳優の沢村国太郎、祖父は“日本映画の父”と呼ばれた製作者のマキノ省三、叔父は加東大介という芸能一家に育った。子役として活動を始め、日活の「狂った果実」で注目を集めた後、58年に松竹に移った。
木下恵介ら大物監督の作品で二枚目を演じたほか、松竹ヌーベルバーグと呼ばれた若手監督による先鋭的な作品にも出演。「ろくでなし」で津川さんを主演に迎えた吉田喜重監督は「若手スターでありながら、どこか大人びた、陰があるようなノーブル(高貴)な二枚目でした」と振り返る。「映画人ファミリーの出身ですから物おじしない。私たちが目指した反青春映画にぴったりの俳優でもありました」と評した。
フリーに転じて以降は二枚目から悪役まで様々な役どころを演じてきた。とりわけ、常連だった伊丹十三監督作品の「マルサの女」「あげまん」で重厚かつ印象的な演技をみせた。
伊丹作品で共演した俳優の宮本信子さんは「『スーパーの女』あたりから息もピッタリ合っていて芝居をするのが本当に楽しかった。名コンビだったと思います。マサヒコちゃん、あちらの世界で監督と一緒に待っていて下さい。長い間、ありがとうございました」とのコメントを寄せた。
松竹時代から映画やテレビで共演作が多くある岡田茉莉子さんは「松竹で売り出した当時は、お坊ちゃんの二枚目スターでしたが、その後は演技派としての印象があります。松竹で数々の監督からしごかれたことが生きたのではないでしょうか」と語る。朝丘さんとも親交があったといい、「朝丘さんに先立たれ、寂しかったのでしょう」と話した。(小峰健二、湊彬子)